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邦男とは?/ ディック

[ 857] 鈴木邦男をぶっとばせ!
[引用サイト]  http://kunyon.com/

お待たせしました。読書対談です。前に中川文人さん、早見慶子さんと三人で「革命運動」と「組織論」をめぐって座談会をやり、好評でしたので、今度は、高木尋士氏を相手に<読書>対談です。
本は怠けていては読めない。又、「他にも情報は得られるし、のんびり本を読んでいる時間がない」という人もいるでしょう。私もそうでした。だから「怠惰な自分」にハッパをかけて、タガをはめようと「月三十冊」のノルマを自分に課している。
でも最近は、ノルマを達成するために新書ばかり読んだり、どうもダレてます。これではいけない。「初心に返ろう!」と決心。よし、「若き読書家」の高木氏と対談しようと、実行しました。皆さんにも刺激になり、参考になると思います。
高木氏は脚本家で「劇団再生」の代表です。見沢知廉氏の『天皇ごっこ』を昨年九月に舞台化しました。今年の四月にも再上演します。そんな忙しい中でも、これだけの本を読んでいます。我々も負けずに頑張りましょう。
鈴木筑摩書房の思想大系は三種類あって、これは文句なしにいい本だ。高木さんにも全部読めと薦めた。一番読みやすいのは、『戦後日本思想大系』だ。次が、『現代日本思想大系』。最後は、『近代日本思想大系』。全部で何巻あったっけ?
高木『戦後日本思想大系』が十六巻、『現代日本思想大系』と『近代日本思想大系』が三五巻ずつなので、八六巻ですね。
鈴木僕は出た時(30年以上も前だ)に全部買って読んだけど、もう忘れてしまった。今はネットの古本屋で買うしかないけど。全部買ったの? 全部読んだ?
高木いやまだです。『戦後日本思想大系』は読み終わりました。今、『現代日本思想大系』を読んでます。『近代日本思想大系』はまだ買ってません。
鈴木こういうまとめ方してるのって、今はないね。埴谷雄高とか竹内好とか、一人だけをまとめたのはあるけれど。思想をテーマごとにまとめて、いろんな人を出す本ってない。
高木そうですね。しかも、「この論文、なんでここに入ってるの?」っていうのもあるわけですよ。『美の思想』と『日常の思想』とか、後半の巻は被ってるのも多いです。編集者の好みなのかな。『学問の思想』(第十巻)と『教育の思想』があるんですけど、なぜこれを二巻にわけたのか。『学問の思想』は主に大学制度について書かれていて、『教育の思想』は小中高校について書かれています。この二巻を分けた理由は、立花隆の『天皇と東大』(文藝春秋)を読むと分かるんです。
鈴木おおー。すごいね。あと、同じ人が何回もいろんなところに出てくる。編集する人の裁量に任せてるんでしょうね。普通だったら会議を開いて、これはこっちに入れようとか、やるんですよ。でもそれをしない。昔、三省堂で、『民間学事典』というのを作ったんです。それで僕は「右翼思想」を書いたんだけど、その時に学際会議を開きました。お互いに「これはうちでもらいたい」と言って決めるんです。たとえば谷口雅春先生は、「宗教」に入れるか、「右翼思想」に入れるかとなり、僕は「右翼思想にください」と言った。そうやってやりとりして、誰をどこに入れるか、最初に決めちゃうんです。それはいい面もあるけど、物足りない面もある。『民間学事典』はきちんとした事典だから、重複しちゃまずい。でも筑摩の思想大系は、そういうのもかまわないと思ってやったから、かえって良かった。
鈴木それだけの人がいたんだよね。今は思想大系を作ろうと思っても、「現代保守思想」だけで終わっちゃうんじゃないですか。あとは、『オタクの思想』とか。
高木今も思想書と呼ばれるものは出てますけど、現代を挟んでせいぜい前後十年くらいの小さい範囲のことでしかない。でも『戦後日本思想大系』を読むと、日本の百年のグランドプランを作ろうという人たちが書いている。だから荒唐無稽な部分もすごくある。一つの思想を極論まで考えて一般化しようとしている。その辺はすごく面白かったです。
鈴木テレビがなかったからだよ。インターネットも。今だったらそんなことよりも時局的な問題だけを迫られて、それだけで終わってしまう。だから残らない。それに比べてこっちは、日本の戦後はどうだとか、大きなテーマでやってる。四十年、五十年経っても読む価値がある。それだけ凄い思想家がたくさんいたんです。
高木評論家じゃなくて、本当に思想家ですよね。情報の速度を知ってる人、言葉の責任を知ってる人たちです。この時代は、言葉を発信しても戻ってくるまで時間があったと思うんです。今はインターネットもあるから、言った瞬間に反応があります。訂正もできる。だから覚悟が少ないんです。言葉を発する責任の重さが違う。
鈴木『戦後日本思想大系』の第一巻『戦後思想の出発』には、共産党の野坂参三とか、徳田球一とか、宮本百合子も入ってる。徳田は第六巻の『革命の思想』にも入ってるし。宮本は第十三巻の『戦後文学の思想』にも入ってる。共産党の人が何を考えていたのかなんて、今は読むことないもんね。『ニヒリズム』にしても、選び方が面白い。太宰治の『トカトントン』とか、坂口安吾の『白痴』があって、漫画も入ってる。
鈴木漫画を思想として取り上げるのは、これが初めてじゃないの? 今はある意味じゃ、漫画を論じたり、作者の意図を無視して、「これは思想なんだ!」とか言ってるけど。これは先駆けてる。この頃、漫画は軽く考えられてたから。思想として取り上げるのは勇気がいる。それで映画『羅生門』の脚本も入ってる。
鈴木『平和の思想』(第四巻)といっても、今は思想がないでしょう。「九条を護れ!」って言っても、「北朝鮮が攻めてきたらどうするんだ!」で終わっちゃう。現実を前に理想や夢が語れなくなってる。でも、この頃は、きちんと理想や平和が考えられたんだから、いい時代だなと思いますね。
高木平和と戦争というものが、言葉としてきちんと意味を持っていたんじゃないでしょうか。どちらの言葉も安売りされてないですよね。全編に渡ってそう感じました。「交通戦争」とか「受験戦争」みたいに安易に使われていないんです。
鈴木このシリーズは、タブーをぶち破ってる。第五巻が『国家の思想』で、第六巻が『革命の思想』だもんね(笑)。こんな続き方、まずないよ! 分裂症になっちゃうよね。天皇制の問題だって、右翼にだけやらせてるわけじゃない。右も左もある。もうこれだけ読めばいいんじゃないの? 他の本は読まなくていいよ。今出てる本なんか、いいよ。
高木『国家の思想』の解説は難しかったです。何を言ってるのかさっぱりわからない。吉本隆明は相変わらず難しい言い回しをしますよね。
鈴木やっぱり四十年、五十年と経って、読めるものだけが、この先残るんじゃないの。今の本はすぐ捨てられちゃうし、一、二年で生命を失うよ。その点、このシリーズは今読んでも教えられる。思想家の質が違うんじゃないかな。
鈴木今は年代が経って、くだらない連中と比べるから、そう思うけれど、当時の学者とか思想家っていうのは、比べるものもないから、そういうものだと思っていた。例えば林健太郎は、東大で何日間も学生に缶詰にされて、それでも音を上げなかった。全共闘の連中も林に対しては、たいしたものだと見直した。三島由紀夫は東大全共闘で討論したし。思想家は命をかけるのが当然だと思っていた。でも丸山真男みたいに、学生に研究室をあらされて、「こんなことはナチスでもやらなかった」なんてだらしない学者もいるんだなあと思った。
高木今に置き換えると、どういう人たちなのかなあと考えるんです。東大の先生も京大の先生もいるだろうし、テレビのコメンテーターみたいな人たちかもしれない。質の違いはあるでしょうけれど……
鈴木僕らは当時、三島由紀夫や石原慎太郎には会うことはあったけど、それ以外の人たちには会う機会がないからね。ネットもないし。だから雲の上の人たちだ。そういう人たちの本が読めるっていう感動が多かったんですよ。共産党の人とか、革マル派の親分だった黒田寛一だとか、よく載せられたよね。出版社も思想として勝負する勇気があったんでしょうね。
鈴木これを読んで、荒畑寒村を知ったし、自伝なんかも読んだ。社会主義運動の草分けだし、一水会の新聞を作ったりするうえでも参考になった。初めて運動をつくるのには、こんな苦労があるんだと教えられ、納得した。右翼の人はないからね。組織運動しようっていう人が。
高木右翼とか左翼っていう言葉自体が、このシリーズにはほとんど出てこないですよね。共産主義者、唯物論者、社会主義者とは書いてあるけれど、右翼、左翼とは言ってない。
鈴木それは気がつかなかった! きっと当時は誇りがあったんですよ。唯物論者でも共産主義者でも。今は、唯物論者なんて言ったら、バカかと思われるし(笑)。当時はいい言葉だったんですよ。
鈴木『保守の思想』(第七巻)も保守って堂々と言い切ってる。一時は保守主義もバカにされてたんだけど、最近は「右翼」と言われたくないから、「保守派」を使ってる。でも今の保守主義とは違うんですよ。三宅雪嶺とか、柳田国男とか。
鈴木橋川文三も鶴見俊輔も、葦津先生のことを認めていた。非常に論理的で、情緒に流されるところがなかったんです。だから僕らは読みあさった。理論武装する上で強力な<武器>になった。
高木『保守の思想』には、鈴木大拙が二編入ってますが、これがよくわからなかったんです。でも『現代日本思想大系』の第八巻に、鈴木大拙が出てくる。これを読んで、なるほどと思いましたね。
鈴木シリーズを超えて重複してるのもいいよね。又、『戦後日本思想大系』の、第八巻は『経済の思想』で、第九巻が『科学技術の思想』。こういうのって今だったら、思想にならない。オタク的な知識の披露で終わっちゃう。『学問の思想』だって、今だったら、モンスターペアレンツをどうするかとか、塾との関係をどうするかとか、そんなことだけで終わっちゃう。それをきちんと思想としてとりあげるっていうのは、たいしたもんだよね。それだけの学者がいたし、それを当然として読む読者のレベルも高かったのかな。
鈴木右と左にとらわれずに入れてるのがいい。僕が学生時代に読んだときは、これが左翼の本を読む誘い水になった。『現代日本思想大系』は、『ナショナリズム』(第四巻)、『アナーキズム』(第十六巻)、『社会主義』(第十五巻)、『マルキシズム』(第二十、二一巻)もある。それを全部読んだ上で考えなきゃだめだよね。
高木読まないとなにも言えません。だから実は僕、今何も言えないんです。そして、読めば読むほど分からなくなって、読むほどに何も言えなくなる。長州の片田舎から東京に出てきた時のことを思い出します(笑)。東京の真ん中に何も知らない自分が居て、世間と対等に付き合うには理論武装しなければならなかった。だから本を読むしかなかった。そのときのことを思い出しました。
高木小学校二年生くらいですね。最初は、モーリス・ルブランとかの冒険物を読んでました。小学の高学年になると近所の本屋さんの新潮社と角川書店の棚を「あ」から順番に読んでました。
高木そうです。『奇巌城』とか『八点鐘』とか。さし絵がついてるようなやつです。A・Aミルン、リチャード・バックも好きでした。物語を読むのが好きだったので、思想書は読まなかったけれど……。
高木かっこいいのに憧れるんです。それで、先輩から聞いて、名前がかっこよかったので、ドストエフスキーを読むようになったんです。
鈴木すごいねー。私は小学生のとき、ロシア文学も、ロシア・ソ連っていう国があることも知らなかったよ! ずいぶん早熟な読書家じゃないか。
鈴木女を釣ってたの? 小学生で(笑)。一代記を書いてみればいいのに。芹沢光治良の『人間の運命』もそうですよ。下村湖人の『次郎物語』もそうだし。山本有三の『路傍の石』も尾崎士郎の『人生劇場』も五木寛之の『青春の門』も……。私もいつか書いてみたいね、少年時代からずっと。失敗の人生ですけど。
鈴木本を読むときに、人から、「これいいよ」って勧められても、自分はその人と同じ感情・感性じゃないでしょう。それが好きになるかどうか分からない。だから全巻読破は絶対に必要だよ。
「好きなもの」だけ読んでたら、本当にこれが好きなものかどうかが実はわからない。いろんな本を読んで、はじめてこれが好きだってわかる。
それにも関わらず、二十歳くらいで、「わたしはこれが好きだから、これだけ読んでて、こういうのが書きたい」って言っても、それはまだ、本当の好きに出会ってないんだよ。
全部読んでみて、知らなかった作家も読んで、自分にぴったりだと発見する。どんなものでもシリーズ読みは必要だ。
高木それはすごく思いました。これを読んでみて、いろんな思想家の影響を受けました。僕は、いいものを知らなかったし、凄い人を知らなかった。
『現代日本思想大系』の第四巻は『ナショナリズム』ですが、第五巻は『内村鑑三』。第六巻は『キリスト教』です。僕はキリスト教者になろうと思うほど影響を受けました。
高木そうですよね。『アジア主義』はもっと、後の巻にしてほしかったですね。岡倉天心、宮崎滔天、ビハリ・ボース、大川周明……。わかるんですけど、みんな問題提起をしているだけで、主義にまでいってないんです。それぞれが好き勝手言ってきたことを、編者の竹内好が、「これがアジア主義だろう」といってまとめたという感じ。
批判してるわけじゃないんですけれど、『仏教』『鈴木大拙』を読んで、こっちは座禅にでも行こうと思ってるわけです。いい人になろうと思ってるのに、『アジア主義』の曖昧さはちょっと……。
鈴木高木さんは順番に読んでるんだろうけど、当時は、バラバラに出たんだよ。一巻から出たわけじゃない。出来たところから出してた。だから一巻抜けてるのがあるでしょう。
鈴木そうだよ! 気になるよね。「戦争責任」を追及しなくちゃ! 未完でも出すべきだよね。解説がなくても、集まってる分だけでも出さなくちゃ。頼んだ人が死んだのかな。
高木『近代日本思想大系』は全て「個人」なんですよ。だから絶対、誰か一人についてなんです。一体誰なんでしょう。
高木その可能性は高いと思います。ただ、このシリーズは、「国家社会主義」にはほとんど触れていないんです。もしかしたら、タブーではないけれど、2.26事件から、それほど時が経っていない。だから北一輝にはまだ触れられなかったんじゃないかとも思えるんです。
鈴木北一輝は新しすぎるのか! 二・二六があまりにも最近の事件だから、まだ「思想」になっていない。うーん。それは言えるかもしれないな。全く気が付かなかった。
鈴木学生時代は、大杉栄や、石川三四郎、幸徳秋水なんて読むことがなかった。こういう人々は当時は敵だと思っていたし。まず我々の理論武装が先だから、右派の学者の本ばかり読んでいた。でもこのシリーズが出たおかげで、右翼にも左翼にも、幅が広がった。左翼と思ってる人にも、こんなに悩み考えてる人がいるのかと驚いた。感動、共感する部分も多かった。
鈴木売れましたよ。読まなかったら学生じゃない。思想全集は読むべきものだった。丘浅次郎だって、北一輝のベースになってますからね。今読んでも、めちゃめちゃ面白い。今の若者は情報はテレビで観て十分だと思っちゃうから本を読まない。いけないな。学生のときに住んでた生長の家学生道場にはテレビがなかったから、本を読む楽しさをおそわった。それだけでも幸せだった。
鈴木筑摩の人にも、このシリーズを復刊しろと言ってるんだけれど。売れなくてもいいから出せばいいんだよね。他の売れる本を出して、その余りで、思想全集を出す。誰も買わなくていいから出す。文庫だと難しいかな。
高木内村鑑三は全部読んでみたくなりましたね。ドストエフスキーは、小学生のころからずっと読んでいて、僕は、『罪と罰』のソーニャの気持ちがずっとわからなかったんですが……。
鈴木戦前の右翼思想家は、宗教性があるからね。北一輝にしろ、井上日召にしろ。石原莞爾にしろ。宗教性は必要なんですよね。今は宗教っていうとカルトになっちゃうけれど。
高木宗教が自分の中に少しずつ入ってきてます。今、芹沢光治良の『人間の運命』(全十四巻)を読んでいるんです。そうすると、天理教はどうなるんだろうかとわくわくするんです。
高木第三巻です。兄の森一郎が女の子を好きになったところです。天理教の刷り込みがあって、どうしてもストレートに人を愛してはいけないと思ってしまうところ。そういうことを考えますね。
鈴木大義名分みたいなものが入ると、それを通してでしか、個人的な感情を表してはいけなくなる。早見慶子さんが言ってたじゃないですか。オルグ以外で人に会ってはいけなかったと。美しい景色を見ても、すぐに美しいと言ってはいけない。革命家としてのフィルターを通して考えなくてはいけない。それってキツイ話だよね。でもそういうキツイ体験は案外必要だ。その上で脱却するんだよ。芹沢も「刷り込み」があって苦しんだ。しかしそれだけだったら『人間の運命』を書けなかった。そのキツイ「刷り込み」を乗り越えた。それで、昔はこういうことがあったなと、書いてる。健気ですよね。僕もそれはあった。だからよく分かる。
高木弟の森次郎が一高に入ったときに、「三年間は天理教から逃れることだけを考えろ、勉強はそのあとでも出来る」と、一郎に言われる。それほどのことかと思いますよね。たまたま天理教ですけれど。あれは自伝なんですか?
鈴木そうですよ。宗教体験があるとわかりますよ。河合塾で宗教体験のある子どもがいて、すすめたらハマって、全部読んだといっていた。
高木僕の宗教体験といえば、おねしょが治らなくて、何ヶ月もお寺に預けられたことがあります。そこで地獄の絵をずっと見せられました。嘘をついたら、この地獄にいって、この人に舌を抜かれると言われたんです。
高木いや、小学校三年生だったし(笑)。今だったら、多少議論にはなりますけれど。そのときは怖いだけですよ。おねしょしちゃいけないっていう強迫観念で。
鈴木僕もキツイなあと思ってたんだけど、田中卓先生に会いに行くんで、平泉澄さんの話も出てくるし、礼儀として読まなくちゃいけないなと思って読んだ。だから、最初に下巻の平泉澄のところを読んで、目次の上にマルをつけて、それから血盟団のとこを読んで、マルをつけて、飛び飛びの読み方をした。
鈴木でも最近、読み続ける体力がない。極端な事を言うと、この本は血盟団と平泉澄の話だよね。だから右翼の人はみんな読まなくちゃだめだよ。最近やっと、苦労して読んだ僕が言うのも変だけど。
鈴木今、紀伊国屋書店で「日本主義ブックフェア」をやってるけれど、平泉澄さんの本も、いっぱい出ているでしょう。でもあれは大学の先生たちが書いてるから、難しいんだよ。その点、立花隆のは読みやすいからね。だからかえって、平泉澄は悪いやつだって印象を持たれるかもしれないね。
ふつうの人だったら、平泉澄と蓑田胸喜の違いがわからないじゃないですか。でもレベルが違うんですよ。人間としての。
田中卓先生は、ぽろっと言ってたけど、蓑田は個人攻撃をしたのがいけないと。ハッと思ったね。平泉先生や田中先生は、個人攻撃をしない。たいした違いじゃないと思うかもしれないが、それって大きい。
今の「新しい歴史教科書を作る会」も分裂して、個人攻撃になってますよ。そういう感じだと、思想が残らない。
あとは『天皇と東大』は、あまりにも、全部が平泉の責任みたいになってるじゃない。敗戦も玉砕も全部平泉のせいだと。でも当時の人たちは戦争中で、一丸となって闘った。そのなかでも平泉澄は、質が高かったから尊敬されたんです。ただのスローガンだけの連中は信用されなかったから名前が残らなかった。
軍歌もそう。それなりに質が高いものだけが残った。残ってない奴らが、残った人の戦争責任を追及してる。藤田嗣治の戦争画もそうじゃないですか。戦後批判されたのは、優秀だからです。質も低く、くだらない絵もいっぱいあった。
平泉さんは一般的には「皇国史観」と言われたけれど、そんなことはない。レッテルです。「新右翼」みたいなものですよ。あだ名です。だから最近は再評価されてる。
鈴木でもある程度面白くするために、どっかに悪役を作らなくちゃいけないから。そいういのはでちゃうよね。松本清張の昭和史発掘シリーズも、すごく面白い。本人の主観的なのもあるけれど、調べてる量が半端じゃないよね。
鈴木渡部昇一さんが、松本清張史観を批判していますよ。共産党史観だと。たとえそうでもいいんじゃないの。ここは違うかなと思ったら、又、別の本を読むとか、調べるとかすればいい。
鈴木この前、何のために本を読むのかってインタビューをされて、「鈴木さんは存在確認のために読んでるんでしょう」と言われたんだけど、昔はそうだった。学生の頃は。武器として本を読む。理論武装しなきゃ左翼に勝てないから。本を読んで、「うん、そうだ」「そうか、こうやって左翼を論破すればいいのか」と思って読んでいた。功利的な読み方だった。でも今は逆です。「自己破壊」のために読んでる。自分の知らない事とか、自分が思ってきたことを、打ち砕かれたい。それが心地良い。全く違う見方があった、なんて発見があると嬉しい。「裏切られる楽しさ」がある。だから、「自己否定」のために、本を読むべきだろうと、僕は思うんです。
鈴木自分を向上させるものは、本を読む以外にもあるじゃないかって思うけど、案外ないんだよ。人に会って話を聞くとか、狭い世界でしょう。本を読むしかない。
高木僕も、このシリーズによって、そうなりつつあります。知らないことばかりだけど、それが快楽なんですよ。
高木ソクラテスですよね。知らないことを知ることが、唯一最高の目的。今は読めば読むほど、なにがなんだかわからなくなるし。知ってる言葉が、知らないことを教えてくれるという、自己矛盾的なことになってきてる。僕は神様になりたいんです。
『人間の運命』もそう。読んでると自分がどんどんダメになっていく。いい人になろうと思いますよ。内村鑑三を読んで、キリスト教者になろう、その前に鈴木大拙を読んだから、滝にうたれてみようかとか。
鈴木内村鑑三や鈴木大拙だって、子どもの頃は悪たれたガキだったんじゃないの。下村湖人の『次郎物語』にしても、子どもを神聖視しないじゃない。親が弟ばっかり可愛がるんで、嫉妬して、弟のカバンを便所に投げたり、トンボを殺しまくったり……。子どもの残酷性をよく出してる。僕らもそうだった。いきなり、理想化するのはよくないよ。
高木僕はもう四十歳ですが、もっと早く、この全集を知りたかったです。十代とか二十代で読んでればと思います。
鈴木どんどん全集を制覇して、忘れたら忘れたでいいんですよ。僕も昔は読書ノートをとっていたけれど、それをやってると、それだけに捕われちゃう。苦労して書き写したから、どこかで引用しなくちゃと思う。
だから私の昔の本は、引用が多い(笑)。これだけ読んでるっていうのをどこかで示そうとか、もったいないから使おうとか思っちゃう。賞味期限が切れても。もったいないから客に食わせようみたいに、もったいないって悪いこともあるよね。
僕は今、この全集を読み返したら、まったく初めての気持ちになるかもしれない。でもそれでいいんじゃないかな。漠然と覚えてるのもあるかもしれないし。読み返すに足りる本だよね。せめて読み返すのに足りる本か、足りない本か。それだけでいいんじゃないの。それを知るために、どんどん乱読したらいい。
鈴木この前、伊藤真さんの、「伊藤塾」で講演したんだけど、本当は「法学館」っていう名前なの。でも「伊藤塾」っていう名前にこだわってる。「適塾」とか、「松下村塾」みたいなのにこだわってる。すぐに江戸時代の話になるってのが凄いよね。
吉村昭の『ふぉん・しいほるとの娘』を読むと、いい塾があって、そこでみんな志に燃えている。若者が全国から集まってくる。学問ってこういうもんだろうなって思いますよね。今だって、勉強したくない人は、しなくていいんじゃないかな。六歳とか七歳から、しじみ売りとか納豆売りをすればいいじゃない。
それで三十歳とか四十歳になって、学問したいと思ったら、そこからやればいいんじゃないの。学校はいらない。行かなくたって、金の計算はできるし、パソコンも打てる。必要なことは覚えるんですよ。自然と。右翼も左翼も、社会人のための「塾」にすればいいんだよ。
鈴木ノルマ式の勉強で悪いところは、忙しいとくだらない本ばっかり読んじゃうこと。これは反省しなくちゃ。
高木僕は一日一冊のノルマにしていて、今のところクリアしてるんですが、ちょっと無理になってきました。『人間の運命』は全十四巻で一冊なので、今月、ノルマは無理です。
鈴木僕は、最初に図書館で、十冊どうでもいい本を借りてきて、一日四冊くらい読む。そうやってノルマを達成してから、好きな本を読む。新書は数合わせのために読む。極端なことを言えば、現代の小説、評論は全部数合わせです。
本当に読みたい本は、昔の本。今まで生き延び、今も生命を持ち、輝いている思想書です。そう思えばいいんじゃないですか。かといって、いい本だけを読んで、ノルマは関係ないと思うと、大きい本に挑戦する意欲もなくなるんだよ。
だから一年間、この二冊読んで終わり、それでもいいんだけど、これをやると他に興味が広がらないからダメでしょう。
鈴木じゃあ、原稿も全部、ドストエフスキー・イヤーにして、それしか書かないようにしてみたら?(笑)。なんでも「ドストエフスキーはこう言っていた」と書く(笑)。
でも最近は、うちに本がいっぱいあるから買わなくなりました。目の前には『思想大系』と『人間の運命』が山になってるし、まずはこれを崩していかないといけない。
鈴木昔と比べたら、本を探すのも楽になった! それなのに本を読まない。いかんよね。頑張って読みましょう!
3月9日(日)先週書いた、続きだ。「土方巽生誕80周年記念」の集いに出席した。目黒にある東京都庭園美術館大ホール。土方巽(ひじかた・たつみ)はあの有名な「暗黒舞踏」の創始者だ。三島由紀夫、澁澤龍彦らとも親しかった。彼の元から山海塾や麿赤児も巣立っていった。麿さんの舞台は昔から見ている。
この日は、土方にゆかりのある人々が集まり、踊り、喋り、飲む。普段は私は右翼や左翼、そして柔道、空手などの〈武闘家〉との付き合いが多いが、この日だけは〈舞踏家〉の中に入って話を聞いた。企画をした三上泰男さんが呼んでくれた。第1部は小林嵯峨さんの舞踏。第2部は鼎談「60年代から70年代への土方舞踏の転換について」。写真家の細江英弘(三島由紀夫が舌をベロリと出した『薔薇刑』の、あの有名な写真を撮った人だ)、森下隆(土方巽アーカイヴ。NPO舞踏創造資源)、小林嵯峨(舞踏家)の三人が話す。河村悟(詩人)が司会。
テーマは「暗黒」について。「身体の持つ遡及性」とか、「暗さの味覚」といった難しい話から始まる。土方は秋田県出身、そして細江は山形県米沢市生まれだという。「土方は死ぬまで秋田弁が治らなかったし、治そうともしなかった」と言う。江戸川乱歩の「恐怖 奇畸人間」(東映)に秋田弁を駆使して主演してるという。ただ、差別問題のからみで日本ではDVDになってない。海外輸入版なら見れる。それで見てみよう。
細江さんは土方と三島の思い出を語る。三島の写真を撮った人は多いが、細江の撮った〈三島〉は衝撃的だった。「一段外して、被写体になってくれた」と言う。面白いことを言う。
小林さんは、「土方先生は名前を呼んでくれなかった」と言う。いつも、「鈴木、鈴木」と呼ぶ。「私は小林です」と言うと、「名前にこだわってるうちはダメだ。名前に所有された関係性から脱却しなくてはダメだ」と言う。無名性、無記名性に徹しろという。時には獣(けだもの)に回帰し、その獣だった頃になり切る。「けもの歩き」をして人間としてのアイデンティティを消すのだという。獣の本能のままに踊るのだという。深い話だ。土方の言葉は全て、箴言(しんげん)だ。そう、名前なんてただの記号だ。それにこだわっていてはダメだ。それをはぎとらなくてはいかん。名前なんて、全て「鈴木」でいいんだ。私もこれから皆を「鈴木」と呼ぼう。
やはり東北人は芸術家だ。東北人は詩人で、関西人は散文家だ。冬が1年のうち半分もある。寒いし、気持ちが暗くなるし、口も重くなる。都会の人と話すと、訛(なまり)がきついからすぐバレる。だから自分の内に閉じ籠もる。それが芸術になる。表面的な言葉ではなく、もっと深い言葉(=芸術)を発しようとする。石川啄木、宮沢賢治、寺山修司、土方巽…皆東北人だ。
終わってパーティがあったので、いろんな人と話した。細江英公さんには三島の話を聞いた。森下隆さんと、河村悟さんに「初めまして」と言ったら、「飲み屋で会ってますよ」と言われた。会場には小野塚誠さんが撮った土方の写真が飾られている。実にいい。いい顔だ。
「あっ、鈴木さん」と当の小野塚さんに声をかけられた。「高田馬場のルノアールで鈴木さんの写真を撮りましたよ」。そんな馬鹿な。私は芸術家ではない。土方巽ではない。でも、小野塚さんは芸術写真だけでは食べられないので、大衆誌の写真も撮っている。『CIRCUS』の取材で私を撮ったという。そうか、思い出した。
それにしても、何と読むんだろう。この「九日生」は、「ここのかうまれ」君か。「いえ、くにおと読むんです」と稲田さんが教えてくれた。ギク!それで苗字(姓)は全て「鈴木」でいいと言ってたから、「鈴木クニオ」じゃないか。そういえば個性派俳優の大久保鷹さんは、本名が「クニオ」だ。かつて鈴木さんという女性と結婚し、「鈴木クニオ」だった。私も「九日生」と改名しよう。
3月10日(月)岩波新書が創刊されて70年になる。それを記念して、『私のすすめる岩波新書』という本を出すそうだ。「あなたにとって記憶に残る3冊をあげて下さい」と言われ、全部読み返した。なんてことは出来ない。2500冊のリストが送られてきたので、見た。凄い本ばかりある。悩んだ。苦しんだ。アンケートなのに一日かかって苦労して書いた。そういえば、別冊宝島は1500巻を迎えたそうだ。「その中でおすすめの3冊をあげて下さい」と言われて、これも苦しんだ。別冊宝島も実にいいものが多い。悩んで3冊あげた。本が出たら紹介しよう。そんなわけで、疲れるアンケートだった。頭がフラフラなので、夜中、走った。来年の東京マラソンに備えて。今日はお巡りさんに止められなかった。「下見」もちゃんとやった。あとは「実行」あるのみ。
3月11日(火)午後、対談のはずだったが、その方の奥さんが入院したため延期。一日、原稿を書いていた。ところが、呼び出されて新宿に。緊急会議をする。
この日発売の「サンデー毎日」(3月23日号)に斎藤貴男さんが私の『愛国者の座標軸』を取り上げて、書評してくれてました。タイトルは〈「思想」に覚悟を決めた生き方〉。とてもいい文章です。ありがとうございました。
夜、塩見孝也さん(元・赤軍派議長)に電話する。山田洋次の「母(かあ)べえ」よかったよ、と言ったら、「ウルセー、見たよ」と言われた。治安維持法で捕まり、転向を迫られたが拒否。美しい奥さんは小学校の教員をやりながら夫を支え、子供を育てる。しかし、夫は獄死。「まるで塩見さんの一生じゃないですか。塩見さんをモデルにして作った映画ですよ」と誉めてやったら、「ウルセー、俺は生きてる。そんなに殺したいのか」と言う。せっかく誉めてるのに。「えっ、生きてるんですか」「生きてるから、電話で話してるんだろうが、バカ」。
でも、私は、死んだ人ともよく電話で話している。三島由紀夫や坂本龍馬からも電話がかかってくる。もっとも霊媒師のおばちゃんを通してだけど。でも、きっとホンモノだよ。土方巽さんとも話してみたい。
3月15日(土)2時から池袋のあうるすぽっと。月蝕歌劇団の芝居を見る。「『金色夜叉』の逆襲」。面白かった。会場も新しいし、豪華だ。高取英さんにこの芝居の原作本をもらった。私の本をあげたら、「『サンデー毎日』で取り上げられた話題の本では」と言われた。
あの衝撃の舞台、「天皇ごっこ」が再び帰ってきます。何と今度は阿佐ヶ谷ロフトで。4月12日(土)、13日(日)の2日間です。終わって高木尋士さんのトークがあります。切通理作さん、そして私が出ます。詳しくは又、お知らせします。あっ、チラシをもらったので紹介します。例の「スパイ査問粛清事件」の「証拠写真」でしょうか。貴重なものです。
今週はいつもの倍になりました。でも、力の入った対談になったと思います。高木氏のおかげです。それに、テープ起こしをしてくれた鈴木さん、レイアウトをしてくれた鈴木さんのおかげです。感謝します。

 

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