パーソナルとは?/ ディック
[ 17] パーソナルコンピュータ - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF
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パソコンはこの項目へ転送されています。その他の用法についてはパソコン (曖昧さ回避)をご覧ください。 1960年代までのコンピュータは、きわめて大型で高額なものであり、当時は1台のコンピュータを複数人が共同で利用するのが一般的な形態であった。1970年代に入る頃には、高額かつ大型で専門家が操作するメインフレーム(汎用コンピュータなどとも呼ばれる)、事務計算用のオフィスコンピュータ(オフコン)、研究用のミニコンピュータ(ミニコン)など各種のコンピュータに分化していたが、特別な場合でない限り、いずれも複数人が共同で利用した。 1970年代後半になって、個人で購入可能なくらいに小型で低額なコンピュータが登場した。このような製品を当初はマイクロコンピュータ(マイコン)などと呼んだが、外観・操作性が洗練されてきたものを、従来品との差別化を図るため、個人用途であることを強調した「パーソナル」を冠して呼ぶようになった。 現在一般的には、入力機器としては、キーボード・マウス(ポインティングデバイス)など、出力機器としては、ディスプレイ・プリンタなどと組み合わせて利用する。 パーソナルコンピュータは、1970年代のアメリカ合衆国で幕開けとなった。当初はAltair 8800や、アップルコンピュータ、タンディ・ラジオシャック、コモドール、アタリなどによる、8ビットのマイクロプロセッサを用いた製品が登場し、後にIBMやアップルコンピュータ等によってより高性能なものが開発されていった。 日本では、1970年代半ば過ぎに「ワンボードマイコン」と称する、コンピュータの組み立てキットが販売されている。その後、各社がこぞって開発を行い、8ビットコンピュータによるBASICの時代が到来する。 一方、かつてマニア志願なら気軽に買える価格であったパソコンは、ミニコン並みへの高性能化により1セット20万円代以上という高価なものになっていた。そのため、若年層がより手軽に入手・使用できる廉価機として、8ビットのCPUを採用したMSX規格が登場する。 1995年には、Windows 95というパソコンのハードウェア構成を理解しないでも利用できるPC向けOSの登場により、従来は取り扱いの複雑さから躊躇していた潜在的市場が活性化、市場規模が空前の急成長を遂げた。1998年にはインターネットのための新世代のパソコンと銘打ったiMacが登場し、インターネット利用に関するモチベーションは社会革命と呼ぶべき様相を呈した。 2000年代に入ると、日本では省スペース性に優れたノートパソコンが市場の主流となる一方、Windowsパソコン市場は冷えつつある様相を呈しているが、これは消費者がパソコンに興味を示さなくなった訳ではなく、既に消費者の求める水準からオーバースペック状態にあるため、新しい買い替え需要を喚起し難くなったと見るのが妥当であろう。2007年9月の段階では、消費者の多くは、パソコン本体よりもデジタルカメラやデジタルオーディオプレーヤーといった新しい娯楽・生活用品としての周辺機器や、既存のパソコン記憶容量を向上させる外付け(または内蔵)ハードディスク等といった追加記憶媒体へと、その投資対象を移している。 パソコンの本体に当たる物で、パソコンを動作させるための主要な部品が内蔵されている。 その部品には以下のような物がある。 パソコンの主要機器を収納するための箱。縦置きのミニタワー型、ミドルタワー型、フルタワー型などがある。省スペース型と呼ばれるものは、横置き(水平)設置も可能である。 パソコンのOSや各種のソフトウェア、データは、通常ここに記録される。メディアを取り出して運ぶといった事は出来ない。ただし、特に大容量のデータのやり取りでは、ハードディスクドライブを複数設置したうえで起動ドライブでない指定をしたドライブに記録し、そのドライブ自体をパソコン本体から取り外してやり取りすることがある。年々、大容量化が進んでおり、現在では、1TBの物も存在する。 フロッピーディスクを使用するためのドライブ。最近はほとんど使われていないため、ミニタワー型以上など搭載機種も限られる。 MOを使用するためのドライブ。フロッピーディスク同様、3.5インチが主流である。データ交換を目的として主に外付けで利用される。 パソコンでCPUが処理するデータを処理する際に記録しておくための記憶装置。メモリには読み出し専用のROMと読み出しと書き込み両用のRAMが存在するが、通常、パソコンのメインメモリとしては後者が使用される。CGソフトなどの画像処理、特に動画処理を快適に使うには、より多くの容量が必要とされる。 ディスプレイに表示するためのデータを処理する装置。フレームバッファ(グラフィックメモリ)から表示内容を読み出し、グラフィックスコントローラ、RAMDAC などを経由してディスプレイに表示信号を送る。現在では描画を高速化する機能であるGPU(グラフィックアクセラレータ)が搭載されている場合が多い。廉価なものではマザーボード上のチップセットがこの処理を行う。 サウンドチップが処理するデータを一時的に記録する装置。グラフィックメモリと同様メインメモリと一体になっている物もある。 パソコン本体に接続する機器の事で、パソコンにデータを伝えるための入力機器とパソコンからデータを受け取るための出力機器、ネットワークなどに使用される通信機器などが存在する。 ワープロソフトなどでパソコンに文字を入力するための機器。日本では通常109日本語キーボードが使われ、最近ではメールをすぐ確認するなどワンタッチボタンを搭載する物が多い。 平面の上を滑らせ、画面上のマウスポインターを操作するための装置。ネズミのような形をしているためそう呼ばれる。上部に2つのボタンが付いているが、ボタンの間にホイールボタン等が付いているものもある。ボール式と光学式・レーザー式があり、手へのフィット感や応答性のよさで選択される。 ノートパソコンや一部のデスクトップ型では、マウスの代わりにタッチパッドやトラックボールなどが使用されていることが多い。 外部から画像をパソコン用のデータに変換して取り込むための装置。イメージスキャナとも呼ばれる。ポジやネガなどのフィルムをスキャンできる機種もある。 パソコンのデータを表示するための装置。テレビ受像機のような形をしており、15インチから30インチなどと様々なサイズが存在する。通常この機器単体では機能しないが、TVチューナーとして使用できる物も存在する。大きく分けると、ブラウン管型と液晶型が存在しており、最近では後者が主流になっている。後者にはTFT、HPA、DSTNがあるが、このうち最も性能がよいのはTFTである。 パソコンの音声を出すための装置。主にステレオが多い。最近の機種では、ディスプレイの画面から音声を出す物もある。 文書や画像などを紙に印刷するための装置。カラーのインクジェットやレーザープリンタが主流である。最近ではパソコンなしでメモリーカードを直接挿入する事でそれに保存されている画像や文書を印刷する事も出来る。 「筐体の大きさがどれくらいあるか」、「どんな業務に利用できるのか」、といった観点で見た場合、以下の4者の間に決定的な違いが無い。4者を区別する場合は「歴史的事情(生い立ち)」と「内部アーキテクチャ」等を知る必要がある。 ミニコン若しくはマイクロコンピュータ(マイコン)をルーツにし、発売時においてパソコンに比して高速なCPU(主にRISC)を搭載したマシンであり、グラフィックのレンダリングなどの高負荷計算を自らのCPUにおいて行うことが出来るマシンを指す。かつては、オフィススイートさえ備えていればワークステーションだとされる時代もあった。外部からリモートで操作されることを前提としておらず、リモートで操作されるようなタイプを「サーバー」という名前で呼びかえるのが普通である。 ミニコンは、メインフレームのように大規模なシステムを想定したしかけが搭載されていないながら、メーカー独自のアーキテクチャを持ったコンピュータを指す。その性格上、メインフレームに比してダウンサイジング化やオープンシステム化の影響を受けやすく、メインフレームよりも早く市場から淘汰されていった。大きさについては、電子レンジ以上の大きさを持っているものを指す。あまりに小さいものはマイコンに分類されてしまう。逆にメインフレームに匹敵するほどの大きさを持っていても分類上問題ない。 オフコンはミニコン及びワークステーションの一種であるが、「これはオフコンである」とベンダが宣言し、既存の業務・業種パッケージをマシン購入と同時に利用できる形で売り出した製品を指す。日本独自の呼称表現であり、欧米では日本で「オフコン」と呼ばれるコンピュータも「ミニコン」と称する。現在オフコンと呼ばれているものは、昔(1990年頃まで)においてオフコンと呼ばれたものの後継版製品を指す。現在では内部ハードウェアアーキテクチャはパソコンと同様であることが多いが、独自のオペレーティングシステム (OS) を搭載し、かつてのオフコン用のアプリケーションが使用できるように施してある。 大別して、机上等に設置して移動させないで使用する据え置き型のものと、持ち運んで使用する可搬型のものに分けることができる。 かつては横型の筐体を使用したものをこのように呼んでいたが、現在ではミニタワーなどの形状でも机上に置くことができるものは(ノート型と対比する形で)デスクトップ型と呼ぶ場合が多い。拡張性を犠牲にした小型のデスクトップ筐体では、縦横どちらにも設置できるものが多く、価格も比較的安いことから、企業などの業務用クライアント機として大量に導入されている場合が多い。 縦型の筐体を用いるパーソナルコンピュータである。大きさによって、フルタワー、ミニタワー、マイクロタワー、スリムタワーなどがある。立方体に近い形状をしたキューブ型パソコンも、広義ではこのタワー型に入る。また、フルタワーよりも大きなサイズのスーパータワーも存在する。フルタワーやミニタワーは、メンテナンス性に優れ、内部拡張性が高いものが多い。ヘビーユーザーにとっては設置面での問題を別にすれば最も適した種類である。 本体(マザーボード、電源等)とディスプレイ(かつてはブラウン管、今日では液晶ディスプレイ)をひとつの筐体に収めたもの。製品によってはキーボードも一体化している場合がある。超小型デスクトップとは違って内部の部品は一般的なデスクトップ用の部品を使用しているものが多いが、記憶ドライブなどにノート型の部品を転用している場合も見られる。デスクトップ型やタワー型と比べると、本体とディスプレイの接続の手間は省ける利点はあるものの、機能拡張面で弱い傾向が見られる事から、ヘビーユーザーからは敬遠されがちである。2005年頃から登場した大型のものは、地上デジタルテレビジョン放送(地デジ)受像機と一体化され、一見パソコンには見えないものが多い。以前から存在する小型のものは、ライトユーザー(初心者)の他に、企業などのクライアント機として大量に導入される場合がある。 本体とキーボードが一体化しており、外観は分厚く大きいキーボードのようである。テレビ接続を想定していたかつての8ビットパソコンに多く採用されていたが、1990年代以降は少なくなっている。 ノートパソコンの部品を利用して内部拡張性を排除したデスクトップパソコン。ノートパソコンのように電源を外付けにしているものが多い。機器組み込みなどの特殊用途やサーバ用に販売されていたが、低価格を売りに一般向けに販売され、ライトユーザーを中心に人気を博している機種もある (Mac mini)。 本体、ディスプレイ、キーボードをひとつの筐体に収め、移動のためのハンドルを持った形状のもの。膝(lap)の上(top)に乗せて使うことからこの名がついた。現在のノートパソコンのような小型軽量のものが登場するまでは、可搬型といえば(Osbone-1のようなものを除き)これしかなかった。なお、電池を内蔵せず、使用時は商用電源が必要なものもある。また、マサチューセッツ工科大学のプロジェクトチームが発展途上国の子どもたち向けに開発中の100ドルパソコンでは、電気のない地域でも利用可能にするために手動のハンドルで電力を供給するシステムを採用している。 A4ノートサイズ以下の大きさで、折りたたんで持ち運び可能なもの。ノート型のうちでも可搬性を重視したものとして、サブノートやミニノートがある。主に据え置きで使い、長距離の持ち運びより室内での移動を想定した大型で重いものは、DTR(デスクトップリプレイスメント)、トランスポータブルなどと呼ばれる。 また時計型や頭部に装着するなど常に身体に携帯して使用するタイプを総称してウェアラブルコンピュータと呼び、今後普及が期待される形態のひとつである。 また、日本では、持ち運び出来るパソコンをノートパソコンと言うのが一般的だが、英語ではラップトップ(Laptop)と言うのが一般的である。 1990年代前半までの、NECのPC-9800シリーズ全盛時代は、おおよそキーコンポーネンツ(主要部品)となるCPU(マイクロプロセッサ)の進化時期に対応した商品サイクルで、半年から1年程度の商品サイクルとなっており、NECの新商品発売に少し遅れるタイミングでエプソンが対抗機種をNECより安い価格で発売する状態であったが、Windows 95が本格的に立ち上がり始め、多数の海外系メーカーが日本に参入を始めた1996年頃から商品サイクルの短期化が進み、モデル末期には希望価格の半額以下で投売りされることも多く、生鮮食品に例えられるようになってきた。 現在では、各社とも年3回(春・夏・秋冬)の新モデルの発売が定着し、無理なシェア争いを回避する方針となって生産量も押さえ気味(機種によっては1カ月程度で生産完了の場合もある。Qosmio Gシリーズなど)にされ、かつてのように旧モデルの在庫品などを安く購入する手法は困難となっている。 また、デルコンピュータやゲートウェイなどアメリカ合衆国で実績を伸ばした、比較的低価格で直接販売するメーカーの日本への進出(後者は一度撤退後、再進出)もあり、現在では主要メーカーのほとんどが、店頭やOAディーラなど従来の流通ルートを使った販売と自社ウェブサイトによる直接販売(需要予測精度の向上の目的もある)の両方を行っている。 マザーボードやハードウェアなどPCパーツだけでの販売もされているため、好みのパーツを購入してメーカー製にはないオリジナルのPCを完成させる人もいる(いわゆる自作PC)。PCを自作するのは、ただ単にPCが動けばいいという人とより高性能なものを求める人とに二分される。詳しくは自作パソコンを参照。 半導体素子製造プロセスの急速な高度化(この様子はムーアの法則などと表現される)の恩恵を受けて、より高速・高機能なCPUを用いた製品が市場に投入され、そうした最新版のハードウェアに対応したソフトウェアが普及するにつれ、旧型製品の買い替えサイクルは短くなる。そのため廃棄されるPCの台数が増加しており、資源の有効活用や環境保護の面から問題点が指摘されるようになった。そのため、家庭電化製品と同様に「資源の有効な利用の促進に関する法律」の適用を受けることになり、メーカーによる回収・リサイクルが制度化された。 これを受け、2001年4月1日から企業や個人事業者、2003年10月1日から家庭用で不要となったパソコン本体(付属のキーボード・マウス・スピーカー・ケーブル類、単独の外部ディスプレイ含む。付属マニュアルやメディア、プリンタなどの周辺機器は除く)は各製品のメーカーが回収し、素材レベルに分解し資源として再利用される(中古品としての流用や部品取りは原則として行われない)。 「PCリサイクルマーク」がついた家庭用PCは、販売価格に回収処分の手数料が含まれているためリサイクルの費用は不要であるが、マークのついていない製品は新たに「回収再資源化料金」を負担する必要がある。 自作PCやメーカーのパソコン事業撤退 [1] ・倒産した場合は、有限責任中間法人パソコン3R推進センターが有償で回収を行う。この制度を受けて、自治体などではPCの粗大ごみ収集・処分を行わないところが多い。 [2] 事業用のパソコンについては、別途メーカーによる回収・リサイクル体制が整えられているが、産業廃棄物として処理される場合もある。 そのほか、従来から中古PC市場が形成されており、PC活用のノウハウを持った上級ユーザを中心に再利用されてきたが、中古品の品質保証や付属ソフトウェアのライセンス譲渡の点で不安を抱く購買者もいた。こうした市場、および環境問題への配慮していることのアピール、顧客満足度向上などをはかるため、下取りした自社製PCを再生して「Refreshed PC」などとして、中古販売ルートで販売するメーカーも出現した。 ^ 旧コンパック製品については、合併したヒューレット・パッカードで回収を行っている。2001年に一度日本から撤退したゲートウェイ製品については、再進出後の現日本法人で回収を行っている。 |
[ 18] パーソナルコンピュータ史 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E5%8F%B2
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パーソナルコンピュータ史(パーソナルコンピュータし)は、パーソナルコンピュータ(パソコン)の歴史である。 1970年代中ごろに普及し始めた8ビットマイクロプロセッサを用いて、ごく限定された機能・性能ながら個人の計算やデータ処理を行うことができ、価格的にも手が届くコンピュータが作られるようになった。 アップルコンピュータを興したスティーブ・ジョブズが1976年に、ガレージで製造したワンボードマイコンのApple I(スティーブ・ウォズニアックによる設計)を販売、ごく少数販売するに留まったが、翌年発売したApple IIは大成功を収め、同社の基礎を作るとともにパーソナルコンピュータの普及を促した。これは整数型BASICインタプリタをROMで搭載し、キーボードを一体化、カラービデオディスプレイ出力機能を内蔵したもので、今日のパソコンの基本的な構成を満たしている。Apple II はオープンアーキテクチャであったため、多くの互換機をも生み出すこととなり、同時にシェアも奪われることにつながった。後に互換機メーカーへの警告や提訴を行ったが、互換機メーカーが無くなることはなかった。 1980年代から、高機能端末としてワークステーションが発達してきていたが、1990年代、パソコンのネットワーク機能が充実し、フル機能のUNIXが動作するようになって、ワークステーションとパソコンとの境界は曖昧になった。 日本におけるパソコンは、その黎明期においては主に米国からの輸入品とその互換機によって占められていたが、次第に独自アーキテクチャの製品を製造・販売するようになり、発展途上の処理能力に乏しい時期には日本語処置に独自の漢字表示機構を必要とするなどした事情から一時代を築いた。しかし、処理能力の向上により漢字表示もソフトウェアにて実現することが可能となったため、現在では Windows およびPC/AT互換機(いわゆるDOS/V機)の組み合わせが普及するに至った。 黎明期の初端においては、米国と同様にエンジニアや好事家が独自に部品を調達してワンボードマイコン等を設計・制作し、あるいはもっぱら輸入された評価キットやワンボードマイコンなどが秋葉原の電子デバイス店などの小売店で細々と売られる程度であったが、米国でAltair 8800とその互換機が登場するとこれらの輸入品を主力に取り扱う店舗も登場するようになり、「個人向けマイクロコンピュータの歴史」が始まる。 1970年代終盤に登場した初期のマイコン(マイクロコンピュータ)は画面はテキストと貧弱なグラフィック[1]、音はビープ音か単音1〜3オクターブ、外部記憶装置はカセットテープが標準の状態であった。RAMを始め各種の機能は増設可能な場合もあったが、高価だった。 これらのマイコンは1980年代前半から10万円を大きく切る低価格の機種と10万円を超える機種へと二極化が進んだ。低価格機種の代表としては、 ポケットコンピュータが各社から一斉に発売されたのもこのころであり、そのさきがけであるカシオのPB-100は1万円台で購入でき、一世を風靡した。 この時代、特に日本国内のパーソナルコンピュータ市場においては、日本語表示や日本語入力などの諸問題により、8ビットパソコンを本格的なビジネス用途に使うには限界があった。しかし、その実用性はともかく趣味でマイコンを購入する人が増え[2]、また来るべきコンピュータ時代に向け、学校教育にもマイコンが導入された他、これを買い与えられる児童も在った。この時代において、主に趣味のプログラミングやコンピュータゲームに供されたマイコンを、ホビーパソコンとも呼ぶ。 このような社会背景に誘われ、その他の家電・コンピュータ・電卓・時計等の様々な製品を扱うメーカーもマイコン事業に進出したが、後発メーカーは既存のソフトウェア資産という基盤が無かった事から、非常に苦戦を強いられる事となった。その中で、各社仕様を共通化する事で、システム設計コストの低減と、ソフトウェア資産の共通化を目指したマイクロソフトとアスキーによるホームコンピュータ MSXの規格(1983年)には、これらの苦戦した各社がこぞって参加した。一方、すでに市場を確立していたNEC、シャープはMSX規格には参加せず、MSXを弱者連合と揶揄する向きすらあった。 また忘れてはならないのは、ホビーパソコンが人気を博した背景には各地に大小のゲームセンターができ、ギャラクシアンやドンキーコング、パックマンなどのゲームが人気となり、それらのゲームがマイコンに移植されたことの影響も大きいと考えられる。 1982年に後述のPC-9800シリーズが登場する一方で、MSXが出た同じ年の1983年、任天堂からファミリーコンピュータが登場。機能の絞込みによる低価格を武器にアーケードゲームの各メーカーが参入してタイトルが豊富に出揃い、ホビー用マイコンをさしおいて爆発的に普及した。マイコン用ソフトにおける違法コピーに悩まされていたソフトハウスも次第にファミリーコンピュータ用のソフトウエアを開発するようになった。 もっとも、8ビットCPUの非力なパワーや狭いメモリ空間でこれらの機能を活用することは難しく、開発コストや人員の問題もあって、市販のゲームソフトなどでは3機種の全てでの発売と引き換えに画像などのデータの使いまわしが行われ、多色機能等はあまり活用されなかった。 8ビットマイコンは、ビジネスユースとゲームという2つの市場の要望に、前者を16ビットパソコンに、後者をコンシューマー機に奪われるという形でその幕を閉じることとなった。 その一方で、各マシンとも、BASIC言語を標準装備していたことからプログラミングを趣味として楽しむ人々を増やし、一部のパソコン雑誌の誌面ではBASICで組んだプログラムを発表するなどのコミュニケーションの場が形成され、市場撤退後も使い続ける根強いファンを生むこととなった。 8ビットパソコンと違って黎明期の16ビットパソコンは高価だったこともあり、PC-9800以外は家庭用としてはほとんど普及せず、雑誌でのBASICなどの投稿プログラムや、市販ゲームなどは、ほとんど見られなかった。 16/32ビットパソコンは出現当初はビジネス用として位置付けられている機種がほとんどであった。ワードプロセッサ(ワープロ)・表計算・CADと大型機の端末が主な用途で、解像度は高かったが、多色表示やサウンド機能が充実した機種はあまりなかった。 時代が進み、PC-9800シリーズが普及するとホビー用としても用いられるようになり、多数のゲームソフトが登場するようになった。またソフトウェアへの要求度合が上がるにつれ、ホビー用途でも8ビット機のパワーでは物足りなくなった。 これらの機種は既存のパーソナルコンピュータと比較するとホビー用のハードウェアが強化されていた。当時はソフトウェア上で処理するよりもハードウェアで処理することにより高速化が計られる時代であった。X68000シリーズのスプライト機能の搭載が良い例である。同様のアプローチは海外でもなされており、画像関係に強いAmiga(1986年)、音楽系に強いATARI-520STが製造されていた。 8ビットマイコンの最盛期。この後、ビジネス用途を中心に 16ビットパソコンへと転換していくが、8ビットマイコンもホビー用途を中心に1980年代いっぱいは全盛時代となった。また、パソコンには含まれていないが、8ビットゲーム機ファミリーコンピュータも1983年に登場した。 日本では、パソコンよりも一足先にワープロ専用機が普及した。ワープロ専用機の出荷台数は1989年に271万台でピークとなった。この頃までは、まだ、パソコンの出荷台数の方が少なかった。 ビジネス用途を中心に 16ビットパソコンの出荷台数が増加し、8ビットマイコンの出荷台数を追い越した。 注:以後現れる出荷台数は JEITAの統計による。統計に参加していないショップブランド等の台数が含まれていない点に注意。また、デルの出荷台数は2004年から含まれている。 |
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