脚本とは?/ ディック
[ 894] 脚本 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%9A%E6%9C%AC
|
小説とは形式が異なる。映画・テレビドラマ・ラジオドラマ・アニメでは台本、シナリオと言われる。漫画では漫画原作、演劇では戯曲と言われる。 脚本では文学的表現や美文は要求されない。映像やシーンを思い浮かべ、見たままを書き写したような映像描写がよいとされる。[要出典]。ただしラジオやテレビ、映画などのメディアによって、そのメディアの特質や慣習に従った一定のフォーマットが推奨、または必須とされる場合がある。 書き方は、よく絵画や彫刻を作る方法に例えられる。画用紙やキャンバスに絵の具を付けた筆で、いきなり人物の顔を描く人はいない。丸太に彫刻刀を突き立て、眼から丁寧に彫る人もいない。全体をデッサンし、完成を予測しながら下書きをし、バランスを見ながら徐々に仕上げていく。 脚本も同じ事で、どこからストーリーを始めてどこに向かって進んでいくのか。そして広がったストーリーの最後はどう収束するのか。それらのバランスをみながらデッサン(プロット)し、作り進めていく。 戯曲を除き、脚本は単独で発表される事は基本的に無い。建物や船などの設計図と同じであり、映像化・漫画化する事によって一つの作品とみなされる事が多い。このため、どうしても脚本の存在感が弱くなり、監督やプロデューサーによる無断改変が行なわれてトラブルにつながる場合が時折見られる。戯曲の場合は時として脚本のみで発表される事も多数ある。 小説などとの大きな違いとしては複数で書かれる事が時としてあり、監督・プロデューサー・作画者・編集者などと打ち合わせをしつつ脚本を作り上げていく事が多い。時としては上記以外のスタッフや俳優、(特に映画では)スポンサーとの打ち合わせが行なわれる事もある。 映画の場合では、打ち合わせと執筆は平行して行なわれる事が多く、この度に印刷・製本される事が多い。このため、準備稿、改定稿、決定稿と版を重ねる事になる。改定はほぼ全て取り替える場合から些細な部分を修正するに留める場合もあり、準備稿と決定稿、さらに作られた映画とはストーリーが大幅に異なっている事もある。さらに日程・予算の都合で、実際の撮影に入っても改定が行なわれる場合があり、脚本家あるいは監督が現場で執筆する場合もある。これは号外とも呼ばれる。 執筆に関わる脚本家の数、及び(脚本家とともに)監督が脚本に関わる場合では単に作品的な価値ばかりでなく、印税や二次使用料、著作権などの配分にも影響が出る事が多く、昨今では監督が脚本を執筆する事も多い。一方、戯曲に関しては単独で執筆する事が多い。 一枚の写真をカットと言う。カットが集まって「少女が空を見上げる」などの映像になり、これをシーンと言う。シーンが集まって、「少女が空を見上げる。眩しい太陽に目を細める。母の呼ぶ声が聞こえ、振り向く」などのストーリーになり、これをシークエンスと言う。このパターンが集まり、連なったものが脚本で、関係者全員が作品とその内容について統一されたイメージを持つための唯一の基礎になる。作品の中核となるアイデアとストーリー、登場人物達の性格付け、物語の整合性が脚本で完成していなければならない。又、脚本は作品の規模や完成までの作業期間、必要な予算を見積もるためにも必要である。 関係者は脚本に基づいてそれぞれの担当分野でのプランを作成する。役者は脚本に基づいて役の肉付けを考え、照明スタッフは照明プランを、美術スタッフはセットや衣装のプランを、音響スタッフは音響プランを、特撮スタッフはまた特撮カットのプランを練り上げていく。 よって、そこには一定の文法なり、書式が存在する。かつて溝口健二が、修行時代の新藤兼人の脚本を一読し、「これは脚本ではなくストーリーだ」とコメントしたことに象徴される。ただし最近では、漫画風の絵コンテとアバウトな説明だけを用意する岩井俊二や、登場人物のセリフを、全て役者のアドリブに任せる石川寛等、従来のスタイルとは異なる脚本を使用する監督も、少数ながら居る。 週刊誌など漫画家の執筆時間が限られる場合、漫画原作者が立てられる事が多い。その他グルメ、法律、技術などの専門性の高い作品や、小説が原作の物にはそれを脚色する原作者が立てたれる場合もある。主に編集者、漫画原作者、漫画家の三人で作業は進められる。漫画は1コマ1コマのカットの積み重ねによって成立するため、漫画原作は映像作品よりも具体性を要求される。 なお、漫画原作には複数の手法がある。映像脚本同様の手法で書かれる脚本形式、通常の文体で内容を描写する小説形式、漫画家が描くネームと同様の絵コンテ形式のものの3種類である。 稽古の段階で演出家の演技指導が細かく入る場合が多く、したがってト書きは極端に少なく、セリフだけで構成される事が多い。美術、舞台監督は本番に近い舞台装置を稽古場に仮設し、音響、照明スタッフは芝居が作られるにしたがって、演出家がねらった効果を作り上げていく。 物語を簡単に紹介したもの。四百字から八百字程度にまとめ、エンディングまで書く。一番最初に必要なもの。スポンサーやプロデューサーによっては、あらすじがないと脚本を読まないことが多い。一般的にストーリーやプロットと呼ばれることがあるが、これらは別なものになる。企画書とは異なる。 物語の表面を浅くなぞったもの。深く掘り下げたものは必要なく、あらすじよりも短く、盛り上がりを誇張して企画書に添付することが多い。 脚本の中に登場する人物を主役から端役まで一覧表にしたもの。主要な人物は名前、年齢、性別、人物関係が書き込まれる。名前のつかない人物は、通行人1、若しくは店員Aなどの記号で表記する。 シーンの最初に書かれ、その場所と時間を示している。柱の頭にはシーンナンバーを振る。シーンナンバーは打ち合わせを円滑に進め、映像の場合は撮影計画、または編集作業に必要とされる。 《例:○警察署・外観(夜)》等。原稿を執筆する段階では、シーンナンバーは○で示される。これはシーンが移動する場合があるため。印刷される段階で、初めてシーンナンバーを振ることが殆どである。 舞台装置を転換してシーンを変える事を「場」。幕を下ろすほどの場面転換や休憩を挟む間を「幕」と言う。したがって戯曲の柱に当たる部分はそれにナンバーを付けたものが書かれる。 登場人物がしゃべる言葉を「」で括って記述する。「の前に役者の役名を記述する。性別が判り易いように男性は名字、女性は名前で書くのが一般的。ナレーションの場合はNと書く。その場にいない人物のセリフや、内心のセリフなどは冒頭に(OFF)と書く事で指定する。 書式は脚本と同じ。劇場の規模によっては、役者の演技や持ち道具、小道具が見えない場合が多々あるため、または演出家のねらいで状況をセリフで説明する場合が多い。これによって、大怪獣が現れたり、数百人の機動隊に囲まれたりする芝居の世界観を作り出す。セリフの流れを印象付けるため、「倒置法」と言うセリフ回しを使う事がある。 書式は脚本と同じ。セリフは吹き出しに収まるように要求される。長セリフの場合は三行セリフがあって行動(ト書き)し、また三行セリフを繰り返す。基本的にはテキストなので、「強敵(ライバル)」または「友人(ライバル)」などのルビを入れて、二つの意味を持たせることもある。また擬音(オノトマペ)等も原作者の仕事である。語尾などにキャラクターを立てるセリフを要求されることもある。 登場人物の心象や内心、人間関係の説明。状況、事情などを語るときに使われる。登場人物自らがナレーションする場合と、別にナレーターを立てる場合がある。 多用すると、映像作品としての意味を問われる場合が有るので、あまり好まれないが、見せたいシーンの構成や、込み入ったストーリーでは物語の整理をつけ、分かりやすくするために使われる。同じような意味で、物語の冒頭でテキストされることもある。 「ト書き」の言葉の由来は歌舞伎の台本の「〜と立ち上がりながら」等の「と」から来ている。文体は「〜であった」などの過去形ではなく「〜である」などの現在進行形で書くのが一般的。 登場人物の動作や、照明、演出大まかな指示を記述する。目に見える具体的な動作を書く事が必須とされており、人物の心理描写や抽象的な表現を書く事は通常は行われない。又、必要ならば映像効果を指定する(効果・省略のテクニック参照)。最終的には監督、演出家の采配に委ねるが、これはセリフで人物の性格を浮き彫りにすると同様、映像描写に関わる事は脚本家の仕事である。又、男女の絡み、いわゆる濡れ場やアクション等はストーリーの流れだけ書き、具体的な事は書かない。この長さで全体の尺の長さが左右される事が多く、アクションは特に殺陣師の領域になるため。 舞台上に何があるか。役者は板付きか。上手、下手どちらから出るかが中心になる。舞台装置との絡みがあればそれも書くが、重要でなければ書かない。セリフよりも映像、作画で見せる脚本または漫画原作とはここが大きく違う。セリフだけでストーリーが分かり、役者、演出家が自由に表現できる「遊び」がある。様式が決まっている歌舞伎台本と戯曲とは、今日では大きな隔たりがある。 美術、小道具、衣装などのスタッフがいないためト書きの他、必要ならば設定書を作成し全て書く(主人公はタバコを吸うか。吸うなら銘柄は何か。マッチかライターか。ライターなら〜等)。時代や年代が大きく分かれる場合は、そのストーリーの年表も作成する。また原作を書く上で収集した資料など、作画にも必要なものは揃える場合もある。濡れ場、アクション・シーンもできるだけ具体的に、尚且つ荒唐無稽に作りこむ。ストーリーの構成も起承転結ではなく、「起承転」までで、引きを作る。これは連載でも読み切りでも同じだが、ストーリーの内容によってはラスト・シーンに作画を見せる余韻を作る。1ページの大ゴマや見開きなどの指定も要求される場合もある。梶原一騎は少年小説出身なので、原作は小説式で書いていた。 テーマの訴求。尺(時間)の制限。シーンとシークエンスの整理などの作業。例えば起承転結を四つのハコに見立てたものを、大バコと言い、更に具体的に構成したものを小バコと言う。セリフまで書かない、ト書きの積み重ねが多い。この時点で制作者や演出部との打合せをする。 大まかな構成。ここではトーンを統一するが具体的な事は書かない。テーマを「起承転結」に落とし込んでいく作業のみに限られる。 シークエンスの考え方。大バコで作った「起」(ファースト・シーン)の中にも「起承転結」がある。ここで主要人物をどう紹介するか等を作る。「承」の中での起承転結は、主要人物の葛藤、絶望、新たなる希望等でドラマを作る。後半にサプライズがあれば、ここで複線を張る。ストーリーで一番長く面白く見せる場所。「転」の中での起承転結では、今までの「起」「承」が助走であれば、ここでジャンプし高く跳躍する場所。サプライズがあれば先に作ってから「承」に複線を張る場合が多い。高いジャンプが着地した場所が、「結」の中での「起」になり、テンポの良い「承転結」(ラスト・シーン)を作っていく。 シーンの考え方。必要ならばカット・バックやモンタージュ等を挿入し、シークエンスを更に細かく作り込む。「起」の「起」の中での起承転結では、主要人物または主人公が暴力的ならばアクションで始めるのか、逆に優しい人物に見せるのか。誰に対してその行動を取らせるか。クセや特徴、眼鏡は掛けてるか、昼か夜か、雨は降ってるか、降った後か等、決定していく。「起」の「承」の中での起承転結では、もうストーリーは始まっているのか、これから巻き込まれていくのか、主人公に相棒がいるならここで出すか、二人の相性は良いのか等を作り、「起」の「転」の中での起承転結では、敵対する相手が出ているなら、それにどう対処するか、主人公と相棒は相対する性格ならば、ここでその性格を明確にする。「起」の「結」の中での起承転結では、主人公、または相棒の立てた方法にどちらかが引っ張られていく、または別な登場人物が助けを求めにくるならそれを決定し、「承」の「起」の中の起承転結につなげていく。 ここまでで、「大バコの起承転結」から更に「中バコの起承転結」、そして「小バコの起承転結」まで具体化し、必要ならば「小バコの起承転結の中の起承転結」まで具体化する。各々の人物像が浮かび上がる、または確定しているはずなので、言うべきセリフも決まることが多い。また、あえてセリフを作り込む事で人物を強調させる。 尚、作家または作品によっては、上記のように順序を踏まえて書く。他に、大バコから小バコに移る。または小バコを書いてから、大バコに直して整理する等の方法をとる。 この項目「脚本」は、調べものの参考にはなる可能性がありますが、まだ書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。 このテンプレートは分野別のスタブテンプレート(Wikipedia:スタブカテゴリ参照)に変更することが望まれています。ただし、サーバー負荷軽減のため、スタブテンプレートの変更は加筆とともに行ってください。 |
[ 895] 脚本家 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%9A%E6%9C%AC%E5%AE%B6
|
脚本家(きゃくほんか)とは、主に映画やテレビドラマ・ラジオドラマ・アニメ・ゲームの脚本を書く人のことを指す。シナリオライターとも言う。 広義には、演劇の戯曲を書く劇作家のことも、脚本家と呼ぶ場合もある。同様に、テレビ番組やラジオ番組の進行台本を書く放送作家のこともを脚本家と呼ぶ場合もある。ただし、職業上の自称や業界内部としては、これらは劇作家、放送作家とする場合がほとんどであるため、一般に脚本家と言えば、狭義に「映画かテレビドラマの脚本を書く人」を意味している場合が多い。 なお、日本映画界においては、伝統的に監督が脚本を執筆する場合が少なくない。一方、テレビドラマにおいては、脚本家は独立した職能として扱われ、ディレクター等と兼任することは少ない。 テレビドラマにおいては、担当する脚本家は通常は1名のみである。これは、複数の目を通して書き直している時間的余裕がないことのほかに、脚本家が書き上げた脚本がそのまま現場に持ち込まれることは少なく、通常はプロデューサーやディレクター、広告代理店の担当者等の目を通すことで、事実上の共同執筆状態になっているためでもあるといわれる。 これに対し、映画においては複数の脚本家による共同執筆の形が取られることも多い。が、その分担方法は映画によって異なり、おおむね次のような形に分類できる。ただし、それぞれの分類に冠した語は、ここでの説明の便のために付けたものであって、一般的用語ではない。 共同執筆(狭義)……黒澤明が好んで採用した方式であり、複数の脚本家が合宿体制を取り、議論しながら脚本を練り上げていく形である。 垂直分担方式……最初に1名で脚本を書き上げ(初稿)、それを元にして次の者が仕上げていく形(さらに三段重ねや四段重ねになる場合もある)である。多くは「師匠と弟子」の関係にある脚本家同士を組み合わせて行われるが、仕上げに回る方が師匠で、その弟子が初稿を担当する場合と、師匠が全体を書き上げた後に、弟子が現場との打ち合わせを受けて微調整していく場合とがある。 水平分担方式……あらかじめ決定されているプロットや箱書きを元に、部分ごとに執筆者を分ける方法である。同時進行が可能な分だけ執筆時間を短縮できるが、分担決定時の打ち合わせが不十分だったり、最終段階での全体でのすり合わせに失敗すると、映画の前半と後半とで、登場人物の性格が(ストーリー上の必然性がないまま)変わっているなどの弊害も発生する。 未完成方式……これは、最初から意図して行われる方式ではないが、何らかの事情で脚本家が降板を申し出たため(まれに脚本家自身の死亡ということもある)、未完成の脚本を他の脚本家が引き継いで完成させるという形が取られる場合がある。 色づけ方式……以上の形と並行して、ほぼ完成した脚本に対し、いわゆる「決めセリフ」や「笑いを取るセリフ」等を付け加えるだけのために、別の脚本家に依頼するというケースである。 脚本家は、芸能界で執筆をしていれば芸能人となるが、俳優やタレントなどのように顔出しはあえてしない場合、必要ならするが、必要でない場合はしないことが多い。 これは、演技やバラエティなどの面で視聴者にアピールする仕事ではなく、執筆した作品を通して視聴者と接触することによるからで、脚本家においては執筆した作品が視聴者に披露する題材となる。よって、顔を知れ渡らせる必要はなく、作品を知れ渡らせることに意義が置かれる。 脚本家の場合は、顔だけ知れ渡っても成功していることにはならない。しかし、作品も好評で顔出しも好む脚本家も若干おり、特に三谷幸喜は作品だけではなく、人間的にも世間に知れ渡っているので、名前と顔が結びつくほどの露出をしている。 芸能界内では女優や男優などのように、役者よりも格上であるとされるケースが多い。同じ芸能業であっても、成功している脚本家は、成功している役者と比べても格上とされる論理がある。 これは役者(女優や男優)は演じるだけが仕事であって、それら全てを構成する作者(この場合、特に脚本家)のほうが作品全てに携わるので、テレビ番組やドラマ、映画などでは特にそう考えられている。 |
ディックの銀行系キャッシング。 ディックの即日キャッシング、審査甘い、 ディックの信販系キャッシング、消費者金融比較、 ディックの申込情報サイト。