裏腹とは?/ ディック
[ 531] 慣用句辞典 うつ〜うろ
[引用サイト] http://www.geocities.jp/kuro_kurogo/ko-jien01/page15.html
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・烏頭変毛(うとうへんもう) 烏の黒い頭の羽毛が白色に変わるという意味から、有り得ないことの喩え。また、配所(=流罪の地)から帰ることの喩えとしても使った。 類:●烏の頭が白くなる 用例:法然上人行状画図−三六「烏頭変毛の宣下をかうぶり給ひぬ」 故事:「論衡」 燕(えん)の太子丹が秦王に捕えられたとき、秦王が「烏頭が白に変わり、馬に角がはえたりすれば赦(ゆる)そう」と言った。 用例の出典:法然上人絵伝(ほうねんしょうにんえでん) 法然の一代記を中心に絵解きしたもの。法然賛仰と浄土信仰宣揚のために種々作られた。嘉禎3年(1237)に耽空が撰し、図絵は源光忠の手になる、原名「伝法絵流通」が最も古いが、原本は伝わっていない。そのほか増上寺本、琳阿本、弘願本などがあり、従来の法然伝を集大成したのが後伏見上皇の勅修によると伝える「法然上人行状絵図」48巻である。 ・馬に乗るまで牛に乗れ(うまにのるまでうしにのれ) 速い馬に乗る前に鈍(のろ)い牛に乗って慣れる必要があるということから、高い地位に就くためには、その前に低い地位にあって努めなくてはならないということ。また、出世には段階があるということ。 ・馬には乗ってみよ、人には添うてみよ(うまにはのってみよ、ひとにはそうてみよ) 馬の良し悪しは実際に乗ってみなくては分からず、人柄の良し悪しも一緒に暮らしてみなければ分からない。何事も自分で直接確かめてみなさいということ。 ・埋もれ木を折り入れる(うもれぎをおりいれる) 引っ込み思案である。 用例:紫式部日記「かういとうもれ木ををりいれたる心はせにて」 用例の出典:紫式部日記(むらさきしきぶにっき) 平安時代の仮名(かな)日記。2巻。紫式部著。道長政権最盛期の宮廷生活を、土御門殿における敦成(あつひら)親王の誕生を軸に精細に描写した日記部分と、他の女房の批評や自己の生い立ち、性格、心境などを回想、述懐した消息的部分からなる。紫日記とも。 人物:紫式部(むらさきしきぶ) 平安中期の女流物語作者。中古三十六歌仙の一人。978頃〜1014頃。本名未詳。女房名「紫式部」は「源氏物語」の紫の上と、父の旧官名による。藤原為時の女。藤原宣孝と結婚し賢子をもうけたがまもなく死別。寡婦時代に「源氏物語」を書き始め、道長に認められて中宮彰子に仕えた。また、皇子誕生、女房評などを書いた「紫式部日記」、家集「紫式部集」がある。 |
[ 532] 「普通の女の子」として生きにくいあなたへ
[引用サイト] http://homepage2.nifty.com/joshi/0311.html
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ここ何週間か、酔っぱらいながら何か書こうと思って、だいたい書けたなと思ったところで眠っていた。朝になったら読み返す気にもならなかった。そしてオリンピックの肝心な場面は見逃した。 高校生のときに買った浴衣を着たとか、衝動的に水着を買ったけど着なかったとか、夏も終わりなのにキャミソールを3枚買ったとか。 そんな女の子らしい要素を散りばめながら、実際は仕事にかなりエネルギーをつぎこんで燃えつきている状況です。 少女の苺みたいなくちびるとか、手が触れそうで触れないとか、そういうビジュアルを丹念に描くことで、具体的な行為を映すよりも、観客をどきどきさせていると思う。 せっかくの想像力を、嫉妬の方向にふくらませるのは、恋愛している人にありがちな傾向だ。そんなことよりも、女の子のおでこだったり二の腕だったり、男の子のすねだったりハンドルさばきだったり、そういうところに官能を感じているほうが幸せだ。 昔は出版社に勤めていたが、周りの人と折り合いが悪くなったりして、やめてしまった。そのあとはずっと、フリーで仕事をしている。気の強い人で、人に対して許せないことが多いのだ。 そのころは長い髪を三つ編みにしたりしていて、まだ女らしかった。ここ最近はめっきり短くしていて、白髪も染めず、服装にもあまり構っていない。なんだか、色気というものを無理に押し込めているようだ。 「結婚とかいう話はなかったの? 若かりしころは」などと聞くと、「私だってすごく好きになった人がいたのよ」とむきになって言う。その人とは30ぐらいのとき、ちょっとつきあっていたらしい。どういう経緯かわからないが、結局、ほかの人と結婚してしまったようだ。 なるほどと思った。叔母が、骨董とか茶事とか、能とか歌舞伎とか、いわゆる「別冊太陽」な世界に傾倒しているのは、その人の影響が大きかったのだ。いまだに、その世界のことを吸収しようとしているのは、その人がまだ心の中に住んでいるからだろう。 最近、人の紹介で、かなり美白に効果ありと思われる石けんを購入した。「これは、いけてない叔母さんにもひとつ」と思った。いつまでも少女みたいに一人の人を思い続けてないで、ちょっとは色気出してほかにも目を向けてみたら、とおせっかいな気持ちがはたらいたのだ。 人を好きになるのなんて、いつでも幻想だ。どんなに身近にいる人でも、すでに死んでしまった人であっても、それは大して変わらないのだろう。幻想のベースになる思い出が塗りかえられるかどうかの違いだけで。 この核は違ったとか、あれの方がよかったとか、最適な核を求めてあれこれともがくよりも、ご縁のあった人を大事にして、幻想という分泌物で真珠に仕立ててあげればいい、というだけのような気がする。 一度、ひょんなことから私の家にカレーをつくりに来た。ほかに参加者がいない状況だったので、さすがにちょっと踏み込ませすぎたなと、カレーを食べ終わってから後悔した。でも、何ごともなく、早い時間にさくっと帰ってくれた。紳士だなと思ったが、もしかすると、こちらの後悔が多少、伝わっていたのかもしれない。 男として好きな人だったら、自分のほかにサシで遊ぶような女はいないでほしいと思うのに、男として見ていない人には、ほかに遊び友達の女が何人でもいてほしいと思う。 都会から移住した沖縄ライフな人たちをぱらぱらと眺め、レゲエやボサノバで頭の中をゆらゆらと満たす。食い入るように物件情報を見て、いちいち生活を想像する。へんてこな間取りの一軒家を見つけ、「これは」と興奮する。 八丈島では、東京や関西から移住した文化度の高い女たちに会った。オサレなカフェを経営していたりするのだが、都市で見かけるそれとは違う生命力を感じた。 そこでは、ピンヒールのミュールも、ビトンのバッグも、メルセデスも、何の意味もなさない。海にもぐって適度に肌を焼き、魚や貝を採り、そこらじゅうに咲く南国の花を摘み、健康的にセックスをして、子を授かることが、女としての魅力に直結している場所だった。企業の論理のもとで日々を忙殺している生活よりも、いたって健全に見えた。 うらやましく感じたのは、彼女たちに迷いがなさそうなところだった。カフェの女主人は、私たちの訪問で東京の空気に触れてうれしそうだったが、あせりや気負いはなく、あっけらかんとしていた。 子どもはまだ0歳か1歳ぐらいで、ひどく泣いていた。ビジネスモードな男たちの間で、泣き声はきんきんと響いた。まもなく女は子を抱いて立ち上がり、デッキの方へ歩いていった。 女は疲れているようでも怒っているようでもなく、あまり表情のない、どちらかというとさえない顔立ちだった。無に近い表情で子を抱いている姿を見ると、ちょっと気が滅入りそうになった。 女と子は東京に近づくまで席に戻って来なかった。のぞみの新幹線には「多目的室」という場所があって授乳などができるらしいので、そういうところにずっといたのかもしれない。 夫を目の前にした女は、はじめて屈託のない、穏やかな笑顔を見せた。この人、こんなにかわいかったんだ、としばし見とれた。これだけかわいい表情のできる人なら大丈夫だ、と勝手に人の幸せを確信して安堵したりした。 そういう人でないと魅力を感じないとか、そういう人であれば誰でもいいというわけではまったくないのだが、蓋を開けてみるとそうだったりする。 ある時期、まわりに迎合しないで生きたことによる強さと、そのときの屈辱が生む怒りによる迫力だ。物理的に血を流していなかったとしても、何らかの抜き差しならない戦いを経験したということが、結果的に、男の色気につながっているように思う。 迎合しない、という姿勢を貫ける人はそれほど多くはない。それも、何にも甘えずに。何かに甘えながら肩ひじ張っているチンピラみたいな人もいるが、そういう人は孤独ではない。 周囲に対する感覚が鈍すぎるために孤独という人もいるが、そういう人は鈍さゆえに、その経験が強さに転じているということもなく、いつまでも変わらない人という印象がある。 単純明快な恋愛ができないのは、そんな単純明快でない男とばかり縁があるから、というか、自分で縁を保っているからだろう、とは感じているのだが。何に色気を感じるかは、ひとえに感覚の問題なので、こればかりはどうしようもない。 自分もヒマで相手もヒマならいいが、現実はなかなかそうはいかない。なので、理想と現実のギャップが生じて、嫉妬したり、苛々したりする。恋愛がますますエゴに支配されていく。 思いの強さをどう自覚するかは、おそらく相手の魅力の度合いによるのではなく、自分の空いている時間や心の隙間をどれだけ埋めたいかという、本人の事情に比例するのだ。 彼は迷惑しつつも「こんなに愛されてる俺」とまんざらでもない気持ちもあったようだ。実際のところは、やや情緒不安定で、ゆるいバイトしかしていないヒマな彼女の事情が、思いの強さを狂気に至らしめただけなのだ。 ちょっとヒマになると、「ちょっと好き」な人に大好き光線を放ちたくなって空回りする自分のヤバさをよく知っているので、そうやってコントロールしている。 自分が一緒に住んであげられない申し訳なさもあった。他人にペースを乱されるのが相当嫌なのだな、という自分を発見しつつ。冷たいのかもしれない、と軽く落ち込みながら。 10代のころ、寮生活に憧れた時期があったので、気持ちはなんとなく分かる。いまは、恋人でもない他人と一緒に暮らす気はないが、そのうち孤独なおばあさんになったらシェアメイトを募集しているかもしれない。 生きるのに必死だと、感傷的になるヒマなどないのだろう。たまに、話しながらおもむろに涙をぽろぽろ流しているが、そのあとすっきりした顔をしている。 相手がまだそれほど打ち解けていない人や、違う価値観を持っている人であるほど、「でも、そういうのつまんないっすよー」とは言いにくい。そして、どちらかというと話に乗って、気分よくさせているのかもしれない。 そうこうしているうちに、いつのまにか御休憩や御宿泊に誘われていたりする。「話が合う」というだけで(しかも思い込み)、セックスしていい仲と思われてはたまらない。丁重にお断りすると、男はなんともせつない顔をして去っていく。 ある女子は、うっかり寝てしまった相手に「体の相性がいい」と言われて困ったという。彼女としては特別合うというほどでもなく、明らかにもっと相性がいいと思える相手はいたのだが、そこで否定したときの冷ややかな空気が恐ろしくて、曖昧にしていたらしい。 合う合わないというのは、ほとんどが思い込みで、願望のあらわれなのだ。相性などという科学的根拠のない物差しで自己を正当化するよりも、お互いに利用し合っていることを認めたほうがすっきりするのではないか。 セックスに自信のある発言をしている男はたいてい、ひとりよがりで女が合わせているパターンだろう。そんなニブい男に至っては、検証にも値しない。 善人ぶる人ほど自分のことしか考えていなかったり、逆に悪人ぶる人ほど思いやりがあったりする。善のなんたるかを知らない人は気軽に善を語れるが、善の難しさを知る人はたやすく口にしない。 「一生幸せにする」などとやすやすと口にする向きにも、個人的には違和感をおぼえる。幸せにするってどういうことか、わかってんのかと思う。言われたことはないが。 別にホメ殺しているつもりはないが、相手に何らかの価値を認めて取材をしているわけなので、自然とそういうふうに感じられるのだろう。 密度の濃い信頼関係をいろいろな人と結んでいく行為がある限り、小さな浮気心と嫉妬心の発生を無視することはできない。そういう事実をクールに受け止めるのが大人社会だ。 漫画といっても、コマ割りもなく、絵にちょっとした吹き出しと文をつけただけのものをいくつも描いて、話を展開させている程度だった。 でも当時、そういうストーリー仕立ての漫画を描いている子は周りにいなかったので、私のお絵かきノートがクラスで回し読みされるぐらい、その漫画はちょっとした人気があった。 美子(よしこ)ちゃんというかわいい女の子がクラスに転校してきて、男の子にちやほやされ、以前モテていたリカという女の子が美子ちゃんに嫉妬して因縁をつける、という場面があった。 描いていたときの私は、善良な美子ちゃんに共感しているつもりだったが、いま考えると、感情的でちょっと意地悪なリカのほうが断然、キャラが立っている。 リカは、結婚して家庭におさまっているなどということは、まずありえない。仕事も野心的にこなし、デートする男も複数いて、でも皆にはヤラせない、というおいしいとこ取りをしている感じだ。 そして、実は、「かわいい」と言われるよりも、「おもしろい」と言われることに喜びをおぼえるのがリカだ。かわいいだけでおもしろくもない美子のことを、リカは嫉妬していただけでなく、おそらく軽蔑していたのだろう。 それに気づいたいま、自分に開けているのはリカ路線の茨の道だということを、改めて受け止めている。悪女ならまだ聞こえはいいが、そのうち欲張りな意地悪ばあさんになるだろう。 人に取材してハイエナのようにネタを取り、メディアの都合のいいように編集していく。取材されるほうにしてみれば、「自分をこんなふうに編集しやがって」と不本意になることもあるだろう。 後者のほうは、単に善良な人というのではなく、どこか肝がすわっている人だ。自分の生きかたや仕事には十分、こだわりがあるのだが、自分を大きく見せようとしない。「あなた方の都合のいい大きさで切り取ってください」というスタンスだ。 どんなに自分が一生懸命がんばっていても、しょせん人からは、ある大きさでしか切り取られていない。相手が恋人とか伴侶とか、身近な人であっても、基本的にはそうだ。みんな、自分以外のだれかについては、無意識に自分の都合で「編集」しているのだ。 私は部屋で男と絡まりあっていた。身近にいる男と似た特徴を持っていたが、そのものではなかった。夢の中では、そういう間柄の男という設定だったようだ。 男がドアから出ようとするのを見て、まだ怒りがおさまらなかったのか、私は再び男の腕を引っ張ってドアの中に入れると、さらにお腹のあたりを蹴った。 男は苦笑いしながら私を見て、「感情をあらわにしているさまがかっこいい」というようなことを言った。はあ?何言ってんのこの男は、とやりきれない気持ちになった。 2時間ドラマみたいだ。現実の生活で、こんな修羅場を演じたことはないし、暴力を振るうこともない。こういう夢を見るということは、いろいろ抑圧しているものがあるのかもしれない。 身近な人であっても、自分の知るその人は、いつも自分向けの顔をしている。自分の視線が届かないところで、どんな思いでどんな顔をして行動しているのか、なかなか知るすべはない。 人には多かれ少なかれ、闇がある。闇の存在を発見してしまうと気になってしょうがないのだが、それは無理やり明るみに引っ張り出さなくてもいいのだと思う。 バイキング形式の朝食を、ある男と食べる機会があった。男は自分の皿にゆでたまごを持ってきていた。私はゆでたまご好きなのだが、バイキングテーブルに置いてあるのが生たまごに見えたので、自分の皿には持ってこなかった。 男がゆでたまごの殻をむき始めたので、なんだゆでたまごだったのなら持ってこようかなと私は言いつつ、ほかのおかずを食べていた。まもなく殻をむきおわると、男は私の皿にそのゆでたまごを置いた。 自分のことは自分でやる、という感覚で育ってきたので、人に対しても自分のことは自分でやんなさいよ、という気持ちがなんとなくあった。 なので、肉親でもなく、利害関係もない相手に、当たり前のようにゆでたまごをむいてもらったとき、こういうことをされるとうれしいんだ、としみじみ思った。 名店のディナーや、高価な指輪や、オリジナルラブソング(いずれもほとんどもらったことはないが)などを頂戴するのも気持ちいいのかもしれないが、そのエネルギーとコストのかかり具合で思いを示されているような、「説明責任を果たしました」みたいな感じがしないでもない。 過去のことはあまり振り返らないので、自分が書いたことをかなり忘れてしまっている。ふと読み返してみると、なんだ究極の愛について書いていたわ(ユーミンの歌をネタに)、などと改めて発見したりする。 たった半年か一年ほど前に書いたものを見ても、今の自分との違いを感じる。それ以上前になるとなおさらだ。昔の私は強がりで生意気で幼稚だなあと思う。 それを聞いて愕然とした。確かに、人の変化は魅力的に映りやすい。でも、おそらく本当は、その人の変化するところよりも、変化しないところを好きになっているはずなのだ。 3年間会わなかったけど大好き、というのがいいなと思った。前回の占い師に会って以来、愛とは何かつらつらと考えていたが、こういうのも素敵な愛ではないかと。 占い師は、どちらかというと経営者として有能そうな50歳ぐらいの男だった。断定口調でいろいろと指摘され、多くは思い当たることだった。抽象的な質問をぶつけてくる人で、「愛」について禅問答のようになった。 「じゃああなたは売れない芸術家と一緒になれる? あなたは才能を認めているんだけど世間には認められていなくて、あなたが食べさせなければならない」 「でも、ほとんどの人には当てはまらないけどね。結婚式なんかで永遠の愛を誓い合っているけど、ぜんぜん嘘。慣性に従って、居心地がいいだけの人への感情を本当の愛だと勘違いしている」 前回のコラムで、犬にフリスビーを投げるような愛情について書いた。だが、その占い師が言わんとする愛情の姿は、そんなバラ売りできるチョコみたいなものではなさそうだった。 結局、彼の言う愛情の全貌はよくわからなかったが、おそらくそれを得られる人は、ものすごい幸せとものすごい絶望を味わうのだろう。羨ましいような、恐ろしいような。 手相を丹念に見られ、色気を利用した商売をするといいと言われた。占いの店を出てふらりと入った古着屋で買ったのは、マリリンモンローが「七年目の浮気」で着ていたような形のワンピースだった。 暮れの過ごし方についての私の提案に、男が気のない態度を表した。私はあからさまに不機嫌になり、鍋の中でやわらかくなった野菜を自分の取り皿に乱暴に移し始めた。「乱暴に」とは、その男の表現だ。自分でも驚いたが、気がつくと私は泣いていた。 居酒屋で泣く女など、相当迷惑だろう。隣りのテーブルでは、男女4人ぐらいのグループが、ときおり下ネタを交えながら鍋をつついていた。幸い彼らは私の泣きに気づいていないようだった。あるいは気づかないふりをしていたのかもしれない。 気のない態度を示されても、もう少し強引に自分の意思を主張すればよかったのかもしれない。ただ、自分の中では、気のない態度を示されたら意味がない、と思っていた。あまりにも繊細に考えすぎ、理想を追い求めすぎたのかもしれない。 男は私が泣いた発端は分かっても、理由はほとんど理解していないようだった。自分が泣く理由さえはっきりと分からないのに、人が泣く理由など理解できるものではない。 そんなこんながあっても体を合わせてしまえば、お互いに少しは分かり合ったような気になる。言葉は永遠に真実にたどりつかないが、行動は少なくともその場の真実だ。 だが、犬が日がな一日、庭の木を眺めながら何を思っているかは知るすべもない。たとえそのとき、犬が心の中で涙を流していたとしても、そんなことは犬に任せておくしかない。 悲しそうな犬の目の前をかすめるようにフリスビーを投げ、なかば面倒くさそうな彼の態度を無視してでも気を紛らわせてやろうとする。 場所柄、利用客は夜の商売の人、しかも韓国の人が圧倒的に多い。なんというか非常に濃いクロウトっぽさ。日本人のOLグループのねむたい会話などは聞こえてこない。 リラックスチェアや床の上にごろごろとマグロのように転がる女たち。そんな女の体に挟まれていると、家にいるときのようにくよくよと考えることはない。 なんというかこう、クロウトな女として、ただただ自分の体のマネジメントについて考えている。この後はどれぐらいサウナに入って最後に髪を洗おう、とか、朝は韓国海苔でおかゆを食べよう、とか。 サウナを出て午前5時、ドンキホーテで食材やレアグッズを物色していると、ロングコートを着たおっさんと店内で何度も目が合う。女であることを面倒くさいと思う瞬間。今、女職業の業務時間外なんだけど。 白ワインかと思ったらスパークリングワインで、開けると泉から湧き出るように金色の水したたる。ボトルの感じと蓋を見れば一目で分かるはずも。そういう間抜けなことをしてしまうのもまた一興。絨毯から漂うは共犯的に微笑む快楽の香り。 濃厚な深紅のアマリリスを購入。花粉の出るめしべだかおしべだかが出てきたらすぐに取ってしまうようにとの指示。断たれる生殖行為。 男に電話してみたところ出ず。基本的に電話は震わせているらしく。2時間後に返答あり。どうやら立てこんでいるらしく。「何か楽しいことしてるの?」と問われ。一人で酒盛りしていると言うと「どんどんやって」と。この言葉だけで、その前の時間よりも確実に楽しく過ごしている自分。かなりおめでたい。ほんとにおめでたい。 購入したばかりの本は坂口安吾。偽善と欲望に対して意識的な人。あまりに意識的すぎて、本命の女とは生涯セックスしなかった。そしてどうでもいい女と溺れていた。体だけを愛していると自認しながら。 排他的な人間だと思う。変な緊張感を少しでも感じると居心地が悪くなる。人に対して一面では惚れこみつつ、他面では失望し、ダメ出しをする。そして一人の時間を増やしていく。 孤独な夜を酩酊して踊りながら過ごす。そんな時間を少なくとも甘やかに過ごせるうちは、当分はタフに、なんとかごまかしつつ、生きていくのかもしれない。 |
[ 533] 液晶iMac、風前の灯火に--話題性と裏腹に売上振るわず:ニュース - CNET Japan
[引用サイト] http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000056025,20069645,00.htm
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Appleは1日に、現行モデルの販売を停止し、新型を9月までに発売するとの声明を出したが、新型のiMacに関するコメントは差し控えた。同社は新モデルをもっと早く投入したい考えだったとしているが、何が遅延の原因かは明らかにしていない。 このマシンは、しばらくの間は店頭在庫が揃わず、Appleは部品のコストをカバーするため、一時的に100ドルの値上げを実施したりもした。しかし、同年6月には早くも需要が伸び止まる兆候が見え始めていた。 また液晶iMacの登場と同じ時期に、アップルのマシン購入者の間でも、一般と同様にラップトップ型への移行が進んだ。現在ラップトップマシンは、アップルの販売台数の半分近くを占めている。 ただし、デザインの専門家らは、初代および2代目のiMacについて、それぞれコンピュータ業界の歴史に名前を刻んだ製品だと評価している。 トラックバック一覧からリンクされているウェブページはこの記事にリンクしている第三者が作成したものです。内容や安全性について当社では一切保証できませんのでご注意下さい。 ※サービス名をクリックするとこのページをブックマークできます。また、人数をクリックするとブックマークしている人やコメントを一覧できます。なお、サービスによってはログインが必要な場合があります。 モバイルの世界で近年盛り上がりを見せているのが、広告を主体とした一般サイトだ。エンターモーションはそうした一般サイトのビジネスを支えるソリューションを提供するとともに、起業家の育成にも力を入れている。 ソフトウェアの終焉を予測し、SaaS型サービスをいち早く成功させたセールスフォースのCEOに、マイクロソフト対する見解やサービスとしてのプラットフォームの今後について聞いた。 「ひろゆき」こと西村博之氏へのインタビュー後編。ニコニコ動画の誕生秘話や今後の展開について聞くうちに、話は日本が目指すべき方向へと広がった。 昨年からポーカー熱が高まっている。専門誌が次々に創刊、サロンもできている。ブームの背景には簡単にアクセスできるオンラインポーカーサイトの影響が関係あるようだ。 PCサイトでできることも、モバイルサイトではできない場合がある。また、その使われ方も大きく異なる。モバイルサイトならではの特徴を、技術面、利用面から押さえておこう。 パイオニアは主力商品であるプラズマディスプレイパネルの生産から撤退することを発表した。市場関係者の評価は前向きで、中期的には株価も上昇軌道に乗ることが期待できそうだ。 消費者の趣味嗜好は多角化しており、時代はプロダクトアウトからマーケットインの時代へと変化していると言われています。そんな中で「的確な分析」はさらに重要度を増しています。今回は分析手法の1つとしてアンケートリサーチについて述べていきたいと思います。 インスタントメッセンジャーの認知や利用状況などを調査したところ、認知度、利用意向ともに7割を超えるという結果が出た。しかし一方では、携帯電話メールのほうが便利であるという回答も7割を超えるという結果となった。 シニア層のコミュニティーサイト利用について調査したところ、ブログやQ&Aコミュニティなどシンプルな機能のサービスに人気が集まった。しかし、コミュニティーサイトの利用は全体の約3割に留まっており、若年層の半分以下という状況であることが分かった。 スイスで開催された世界経済フォーラムで、B・ゲイツ氏は「創造的資本主義」を訴えるスピーチを行った。裕福な国々の企業は発展途上国を支援すべきだというものだが、それは世界にとって本当にプラスになるのだろうか? 米マイクロソフトが、再び米ヤフーに買収を持ちかけている。ヤフーの主事業領域は、マイクロソフトのOSやアプリケーションなどといった主事業領域ではないにもかかわらず、巨額の買収額を提示している。それはなぜなのか。 シャープが今春にも中国市場に携帯電話を投入すると、日本のメディアが報じた。上海や北京、深センなど高所得地域においては、中国でも利用できるように改造したソフトバンクモバイルの携帯電話が販売されていて、特にシャープ製の電話が人気なのである。 インテリジェント ウェイブ、証券市場向け製品強化に向け29West社通信ミドルウェア製品の代理店契約に合意 「画質」でも「記録メディア」でも、さらには「保存方法」でも選べる今シーズンのビデオカメラ。その機能と 機能も画質もデザインも、今年のビデオカメラは例年にないくらいの充実ラインアップを誇っている。SD画質か |
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