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丸の内とは?/ ディック

[ 1656] 丸の内 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E3%81%AE%E5%86%85

この項目では東京都千代田区丸の内について記述しています。その他の用法については丸の内 (曖昧さ回避)をご覧ください。
皇居外苑と東京駅に挟まれた地区で、東京駅を中心に、隣接する大手町と共にビジネス街として発展している。丸の内ビルディング、新丸の内ビルディング、三菱東京UFJ銀行本店ビル、郵船ビルなどの、大手銀行や三菱系を中心とした大企業のビルが建ち並び、日本の金融・経済の中心地の一つとなっている。
昼間人口と夜間人口の差が極端なのが特徴で、平日昼間は会社員でにぎわうが、夜間や休日は東京駅周辺以外は行き交う人もまばらで閑散としている。(但し近年は商業施設の増加・観光地化によって、様相も変わりつつある。)
丸の内二丁目の明治安田生命保険相互会社本社本館(明治生命館)は国の重要文化財に指定。帝国劇場もこの地区にある。1991年までは東京都庁もこの地区にあった。
また、テレビでサラリーマン関係のニュースが報道される際、東京駅丸の内北口から非常に多くのサラリーマンが歩いてくるニュース映像が流れることが多い。朝のお天気ニュースで東京駅近辺の映像がでるがこれは、赤い電波塔を有する豊田通商丸の内ビルから映している。
西側の新宿新都心などの台頭から、1995年頃には「黄昏の丸の内」などと盛んに地盤沈下が指摘されたが、近年は丸の内ビルディングなど老朽化したビルの建て替えや、地区の中心を通る丸の内仲通りにブランドショップ・飲食店を誘致するなど三菱地所主導の再開発で盛り返している。
無料巡回バスである丸の内シャトルが本地区を中心に、大手町地区から有楽町地区までの範囲を周回しており、移動・観光に便利である。
徳川家康が1590年に江戸城を居所とする前は、東京湾の一部で日比谷入江と呼ばれていた。1592年からこの入り江が埋め立てられて江戸城が拡張された。新たに外堀が作られ、外堀であったものが内堀となったため、御曲輪内(おくるわうち)と呼ばれるようになった。親藩や譜代大名の藩邸が24あったため大名小路とも呼ばれた。南北町奉行や勘定奉行の奉行所もおかれた。
明治維新後、官有地となり、陸軍の兵舎・練兵場などとなった。1890年にこれらが移転したあと、三菱の岩崎弥之助に150万円で売却され、三菱ヶ原と呼ばれた。このため、現在もこの地区には三菱グループ各社の本社が置かれ、界隈のオフィスビルは三菱地所が所有しているものが多い。
1894年に高知藩屋敷跡地に東京府庁舎(のちの東京都庁舎)が完成した。同時期にロンドンのロンバート街に倣って赤煉瓦街が建設され、一丁ロンドンといわれるようになった。1914年に三河吉田藩・信濃松本藩の屋敷跡地が東京駅となり、以降1923年に丸ビルが完成するなど、ビジネス街として急速に発展した。
近年は再開発が急速に進んでおり、2002年に建て替えられた丸の内ビルディングは開業から僅か4ヶ月足らずで入場者数が200万人を突破するなど一躍観光スポットとなった。また2005年から東京国際フォーラムを中心に開催されているラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭は、ゴールデンウィークの一大イベントとなりつつある。
さらに2007年4月27日には新丸の内ビルディングがオープンするなど、常に注目を浴びる地域となっている。
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