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島田とは?/ ディック

[ 684] 島田紳助 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E7%94%B0%E7%B4%B3%E5%8A%A9

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18歳のとき、B&Bに憧れ、B&Bの師匠である漫才コンビの島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に入門。同期に明石家さんま、オール巨人、桂小枝などがいる。若い頃には緻密な研究ノートを書いていた。「島田洋七を倒すことに俺の青春を賭けよう」と誓ったが、「結局何もしてないのに勝手に倒れた」と当時を振り返っている。
1985年に紳助・竜介は解散。その際、「このままでは太平サブロー・シローやダウンタウンには勝てない」と発言した。
元相方の松本竜助について、著書に「彼が居たから8年もの間漫才が出来た」と記してある。2006年3月に竜助が倒れた際には東京での仕事をすべてキャンセルして大阪へ駆けつけた。同年4月1日に竜助は逝去。
それまでバラエティ番組とは無縁だった歌手や俳優のバラエティ番組との相性を見抜き、自分が司会する番組に出演させることが多く、円広志や高木美保[1]のように、それをきっかけに活動の幅を広げていく芸能人も存在する。
2004年10月25日大阪・朝日放送社内にて『クイズ!紳助くん』収録前に吉本興業の女性マネージャーに対し激昂し(社長ら恩人の呼び方、呼び捨てにしたという説、アメリカ合衆国大統領選挙結果予想での見解違い説などがある)、その女性を別室に無理やり連れ込み、素手で殴る、顔に唾を吐きかけるなどの暴行を加え、傷害を負わせた。
女性が部屋を飛び出した後、紳助は「こいつおかしいねん。殴ってもないのに大声出しやがって」と周囲に説明した。それに対し女性は「あなたに殴られて左耳が聞こえないんですよ。一生聞こえなかったらどうしてくれるんですか!」と反論したが、紳助は「な?こんな口答えする女やから、殴られても当たり前やろ」と周囲に同調を求め、彼女が悪いという雰囲気を作り出しなんとか誤魔化そうとした(その後、首を殴って頸椎に捻挫を負わせていたことが明らかになる)。
すぐさま被害女性は大阪府警に被害届を提出し、紳助は10月28日付で傷害事件として正式告訴された。紳助は警察に訴えられたと知ると同日に吉本興業の東京支社で記者会見を開き、暴行傷害の容疑を認め、犯行時とは態度を一変させ、TVカメラの前で「10対0で僕が悪いです」、「被害者が芸能界を辞めろと言うならすぐに辞めます」といって泣きじゃくって反省している様子をみせた。
これを受けて吉本興業では11月4日まで紳助を謹慎処分とし、期間中のレギュラー番組については、各局ともテロップ(収録した日付など)を挿入して通常通り放送した。ただし『行列のできる法律相談所』については法律をテーマに扱っているだけにテロップ挿入で放送という訳にはいかず、緊急生放送として事務所の後輩で番組レギュラーである東野幸治を司会に立てて放送した。
大阪府警大淀署は11月4日、紳助を「加害者」として傷害罪の疑いで大阪簡易裁判所へ書類送検し、紳助には略式起訴で30万円の罰金判決が下った。
前述の謝罪会見で紳助は「髪をつかんで座らせ、平手で一発」と述べていたが、その後の略式起訴の際には「右手やリュックサックで頭を殴ったほか、髪をつかんで壁に打ちつけ、唾を吐きかけるなどの暴行を加え、約2ヶ月の怪我を負わせた」という犯行事実を認めたことが分かっている。
なお、紳助は、当初の11月4日までの芸能活動自粛期間の無期限延期を表明し、11月8日の『キスだけじゃイヤッ!』を最後にブラウン管から一時期姿を消した。被害者に「芸能界を辞めて」と言われていたが辞めずに、2005年1月2日『行列のできる法律相談所』内の生放送にて、復帰の挨拶と事件についての謝罪を改めて行い復帰した。当初は無期限とされた芸能活動自粛期間は、実際には2ヶ月に満たない。
これほど早期に復帰できたのは吉本興業および後輩の支援によるものと言える。ダウンタウンは紳助のレギュラー司会の代行を勤め、紳助の復帰まで繋いだ。
被害女性は事件後休職していたが、2006年6月限りで休職期間満了として退職扱いとなった。しかし、8月4日には被害女性が紳助と吉本興業を相手取り、4400万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしている。また、仕事ができなくなったのは首の捻挫やPTSDなどが原因であるとして、退職扱いの無効と雇用関係の確認も求めている。
大阪府知事選挙や国政選挙での出馬の可能性についてしばしば報道される。東国原英夫は、紳助が「オレは政治家じゃなくて、商人だ。豪商の立場から政治家を応援する」と自らに語ったことがあるとし、転身の可能性について否定している[2]。
政治信条に関しては保守寄りで、読売テレビ「今夜はシャンパリーノ」で憲法9条がテーマとして取り上げられたとき、「改正したほうが良い」と発言している。
2004年の参院選で、民主党から出馬した尾立源幸の選挙運動の応援演説に駆けつけ、トップ当選に貢献した。

 

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