林檎とは?/ ディック
[ 819] 椎名林檎 | Virgin Music Co. / EMI Music Japan
[引用サイト] http://www.emimusic.jp/ringo/
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椎名林檎が初の映画音楽監督を務め、話題となった映画『さくらん』で、2008年度(第31回)日本アカデミー賞の音楽賞・優秀賞を受賞したことが発表された。 今年2月にソロ名義でのアルバム「平成風俗」をリリース。この約3年ぶりとなるニューアルバム制作のきっかけとなったのが、初の映画音楽監督の依頼を受け、取り組んだ『さくらん』の映画音楽だった。 初の音楽監督作品で初受賞という快挙により、来年デビュー10周年を迎える椎名林檎は音楽家として、また新たな一頁を加える事となった。 バンドメンバー作曲の膨大な数のデモ音源の中から今作の為に厳選し、椎名林檎が作詞と歌唱に徹するスタイルでプロジェクトがスタート!個性豊かなメンバーの作曲センスがフルに発揮されたポップ且つ弾けたトラックが盛りだくさん!更に色濃く進化した東京事変をお見せします。 『平成風俗 大吟醸』はその名の通り贅沢な品です。毎日お呑みになるかたにも、下戸のかたにも、一口でお判り戴ける決定的違いがあるのです。(当社比) 未成年のお客様のため、蕎麦に喩えましょう。本作は、二八蕎麦ではありません。且つ更科蕎麦でもありません。実の全てを製粉してお造りした十割蕎麦でございます。 CDと言う部屋は、四畳半の広さです。四人きょうだいが、宿題や昼寝など銘々の用事をするのには少々手狭です。必ず誰かが我慢する羽目になります。可哀想に思ったお母さんは、新しくDVDと言う部屋を子供たちに与えました。その部屋には、九畳の広さがあります。CD部屋時代、子供の形相や寝相は、かなり崩れていました。しかし、DVD部屋に移ってからというもの、四人が四人とものびのびと良い表情を見せ、愉快に暮らす様になりましたとさ。めでたし々々々々。 気の毒なのは音たちです。いつだって真っ直ぐ生きて来たのに、収容される部屋が狭かっただけなのです。音数が多ければ多いほど、互いに押し潰し合うものです。勿論そう言った逞しさも、或る意味素晴らしいことでしょう。今回特に、沢山の音が同時に鳴って居る楽曲をお造りした私は、一人一人の音たちを、なるべく広い部屋に収容してあげたいと考えました。その結果、普段の倍くらい可愛い素顔のまま、彼らが入居してくれたんです。お分かり戴けましたでしょうか。もしよろしければ、近々広い部屋でお逢いしましょう。ご機嫌よう、さようなら。 今作ではHiスペック音源の収録のみならず、映像コンテンツとして先行シングル「この世の限り」のPVをはじめ、アルバム曲のイメージを今もっとも新鮮な気鋭のクリエイター達が様々なデジタル映像表現によるデジタルムービングイメージ映像を収録。 オーケストラをバックに、圧倒的なパフォーマンスを披露したり、ビッグバンドやストリングス編成と粋なナンバーを演奏する。また、トーク・パートでは「プロフェッショナル仕事の流儀」のスタジオに、脳科学者の茂木健一郎氏を訪ね、たっぷりと対談。茂木健一郎が、音楽家・椎名林檎の魅力に迫る。 ■「この世の限り」のPVをはじめ、アルバム曲のイメージをモーション・グラフィックスで表現した気鋭のクリエイターによる映像作品を収録。 約4年ぶりとなる椎名林檎のニューアルバムは全篇にわたり編曲&指揮の斎藤ネコとのコラボレーションが実現。 斎藤ネコ指揮のもと国宝級の演奏家が大集合、サウンド・アプローチは曲毎のミュージシャン編成により原始的なものから現代的なものまで縦横無尽、総勢70人のゴージャスなオーケストラによる演奏曲も収録。 何よりもスケール感ある演奏に一歩も引けを取らない椎名林檎のパフォーマンスは圧巻。 今の日本のポピュラー音楽シーンに於いては稀有な極上のエンターテインメントを官能して戴きたい。 椎名林檎幻のライブが、ついに奇跡のDVD化! ファンクラブの会員限定で開催されたシークレットイベントの模様を贅沢に収録。 斎藤ネコ率いるオーケストラをバックに、また長谷川きよしとの共演と、唄い手・椎名林檎の真髄がそこにある。 同日発売のニューアルバム「平成風俗」とも親和性があり、作品世界の理解を深める手立てとなること請け合い。 全19曲収録。 「りんごのうた」以来約3年ぶりの椎名林檎名義のシングルとなる今作は、音楽監督を務めた2007年春公開の映画『さくらん』のエンディング・テーマ曲。 デビューアルバムからの付き合いである斎藤ネコがアレンジと指揮を担当し、総勢約70名編成のオーケストラによるサウンドは圧巻。 また、ゲスト・ヴォーカルに兄椎名純平を迎え、温かな唄声が絢爛な音に乗って深い味わいを見せる。 カップリングの2曲は、『さくらん』映画音楽とは別バージョンの新作で、いずれの楽曲も椎名の新たな魅力を発見でき、興味は尽きない。 斎藤ネコ氏とのコラボレーションはこの後のシングル&アルバム、そして映画音楽に通ずるサウンド・アプローチ。 '07 1月リリースのニュー・シングル「この世の限り」カップリング収録曲。 以前から親交のあったフォトグラファー蜷川実花氏から自身初の監督作品となる映画『さくらん』(2007年2月24日公開)に於ける音楽制作の依頼を受け、椎名林檎が映画音楽監督に初就任。 「ハッピー・マニア」「働きマン」などで若い女性から圧倒的な支持を集めるカリスマ漫画家、安野モヨコ原作を初めて映画化、写真史を塗り替える衝撃をもたらしたフォトグラファー蜷川実花が初監督を飾る。 脚本は『タカダワタル的』等の新鋭監督タナダユキが初めて脚本家として参加。 そして椎名林檎が初の映画音楽監督として参加し、全音楽を製作。 さらに今女優業のみならずロック歌手としても注目を集める土屋アンナが主演と、強力女子コラボレーションを実現!そのエネルギッシュな魅力で、今まであった“花魁映画”を打ち破る! また、本格俳優たちの豪華オールスター競演も注目される。 お話を戴いて先ず思い浮かべたのは、をんなの誇りに纏わる普遍的な情景でした。 江戸だろうが平成だろうが、をとこを知らねば、をんなは自分自身を知ることすら難しい生き物です。 原作を拝読して一層それを意識させられました。 人物各々の個性は役者さん方が素晴らしいお芝居で表現なさってますけれど、ことをんなと言う点に於いては皆さん同じく麗しい苦悩の色をお出しになっている様に感ぜられました。 をんなであることを受け入れ、素直に生きる悦び・・・そうしたしなやかさと強さに満ち満ちた音を納品する様一貫して心掛けたつもりです。 〆切までの怒涛の日々は、孤独な個室から大きな録音スタヂヲに至るまで終始楽しませて戴きました。 自分のアップルコンピュータに入れた実花監督独特の赤い映像の内、何処へどの様な音を付けても良いと言う何にも代え難い歓び。 これは明らかに私だけのものでした。 こんな素敵な機会を下さった監督に感謝して居ります。 それから私の『独りバブル』にお付き合い下さった編曲・斎藤ネコ氏と、録音・井上雨迩氏始め演奏家の皆さん、ご理解下さった方々に感謝致します。 そしてこれからご覧下さる皆様、是非全身を駆使なさって存分に楽しんで下さいませ。 |
[ 820] 椎名林檎 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8E%E5%90%8D%E6%9E%97%E6%AA%8E
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この記事の内容に関する文献や情報源を探しています。ご存じの方はご提示ください。出典を明記するためにご協力をお願いします。 同じくシンガーソングライターの椎名純平は実兄。また京極夏彦や綾辻行人の作品の表紙を手がけたイラストレーター・ブックデザイナーの辰巳四郎は叔父。 先天性食道閉鎖症の手術の後遺症で体の左右のバランスが上手くとれなくなり、10年以上続けていたバレエを断念[2]。現在でも演奏中にその様子がしばしばうかがえる。 漢字や文語調の言葉、古風な仮名遣いを多用する独特の詞世界や、時に白目を剥き、巻舌を織り交ぜながら歌う歌唱スタイル、「新宿系自作自演屋」を自称するなどのキャラクター設定等々によって、既存の音楽ジャンルの枠を超え「椎名林檎的」としか形容できないユニークな世界観を創り出しているミュージシャンである。 1990年代前半に一世を風靡した渋谷系をもじって新宿系を名乗る。現代詩にも似た特異な歌詞は、複雑怪奇だと評される。しかし、ねじめ正一を始めとして、彼女を絶賛する著名人は数多い。 初期の作品には、作曲当時に彼女が気に入って聴いていたと思われるミュージシャンがしばしば実名で登場する。例として、シングル『ギブス』の詞には「カート」「コートニー」という名前(カート・コバーンとその妻のコートニー・ラブ)が登場するが、これは以前の恋人の趣味によって聴いていたもので、自らの趣味ではないと言う。また、アルバム『無罪モラトリアム』収録の「丸の内サディスティック」には、BLANKEY JET CITYの浅井健一の愛称である「ベンジー」という名前が登場するが、浅井はその後、『ギブス』と同時発売のシングル『罪と罰』にエレキギターのパートで演奏に参加している。さらに、「シドと白昼夢」(シングル『真夜中は純潔』収録)「ここでキスして。」(アルバム『無罪モラトリアム』収録)の「シド」とはセックス・ピストルズのシド・ヴィシャスを指している。彼女の楽曲にちりばめられたこのような仕掛けについて語ることがまた、ファンの一種の楽しみともなっている。 2003年に発表した楽曲「りんごのうた」は、これまでの作風とは一味違い、NHKの「みんなのうた」に採用されるなど、子供にも親しまれるように、また、歌詞カードの表記を全て平仮名によって統一するなどといった工夫が凝らされている。 彼女の楽曲や演奏のスタイルはきわめて特徴的であるが故に、また、カテゴライズの的となることも多い。例として、彼女の歌唱法にアラニス・モリセットの影響を指摘したり、歌詞のスタイルが中島みゆきや戸川純に類似しているという声もしばしば聞かれる。また、メロディを長9度で終止させる傾向がある、ともいわれている。 漫画家の吉田戦車に強い影響を受けており、「椎名林檎」(しいなりんご)という芸名は、「吉田戦車(よしだせんしゃ)」という単語を発音した場合の語感を参考にしたという。[要出典]またこれとは別に、幼少時代、血行不良によって頬が林檎のように赤くなっていたから、という説もある。 2003年に手術によって除去された鼻の下のほくろについては、「小学校時代に女優の沢口靖子に憧れてペンで書いていたら、本物になった」とする本人の談があるが、これを虚言癖と判断するファンも多い。 芸能界には彼女のファンだと公言する人物も多く女優では鈴木杏・星井七瀬・成海璃子・真木よう子。タレント・お笑い芸人ではリア・ディゾン・川島明(麒麟)・柳原可奈子。またアーティストではアンジェラ・アキ・竹内まりや・マーティ・フリードマン。 その他にも中村勘三郎・松尾スズキ・うすた京介などがファンで有名である。 ちなみに彼女は大のベストアルバム嫌いであり、過去に幾度となく「自分は絶対にベストアルバムをリリースしない」といった旨の公言をしている。実際、彼女の妊娠・出産後に本人の活動再開の兆しが一向にうかがえないことを危惧したレコード会社側が、ベストアルバムのリリースを要請した際も、彼女はそれを断固として断った。そこで代替としてリリースされたのが、二枚組みカヴァーアルバム「唄ひ手冥利」である。 またCDの収録曲の合間の3秒程度の間隔(ギャップ)をも嫌い、自身の作品ではそういった無駄を省くようにしてレコーディングをおこなっている。 中学時代 友人とバンドを結成。学園祭等で何度か活動をするも解散。その他、学内外含めて合計20以上のバンドの全ての楽器パートを掛け持ちで担当していた。中学・高校とピザ屋や警備員等でバイトをしながらも、ソロとしてデモテープをつくる日々を送る。 ちなみに、椎名林檎が初ライブをした場所は福岡市・西新の『西新JAJA』というところだったそうだ。 1994年、ホリプロタレントスカウトキャラバンに出場。しかし、本人はアイドルを発掘するイベントだという認識がなく、「全国大会に進むまで、水着審査があるなんて知らなかった」と、ある地方局のラジオ番組で述懐している。このことは、ファンの間などではタブーと考えられがちであるが、自らインタビューで進んで語っていることなどから、本人には特にそのような意識はないようである。ちなみに、このときのグランプリである上原さくらとは、大の親友となっている。 1997年、知人を辿って英国へ二ヶ月間ホームステイする。後に楽曲等に影響を与えることになる。当時売り出し中だったBONNIE PINKがテレビに出ているのを見た母親からホームステイ先の本人に「あんた、いつ日本に帰ってきたの?」と電話があった。ちなみに,当時の林檎も似たような髪型で,同じように赤髪であった。 シングル『本能』のプロモーション活動を看護婦のコスプレで行う[1]。約100万枚を売り上げたこのシングルにより、幅広く認知された。6月にそれまで出演していたCROSS FMの最後の公開放送を北九州スタジオで行う。大勢のファンが詰めかける。 後に発売されたアルバム『勝訴ストリップ』は初動90.4万枚、累計売上枚数233.2万枚を記録する大ヒット、このアルバムで日本ゴールドディスク大賞ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー [3]、日本レコード大賞 ベストアルバム賞[4]を受賞する。 同年4月よりライブツアー「下剋上エクスタシー」。福岡嘉穂劇場にて一夜限りのライブ「座禅エクスタシー」[1]。このころ、ともさかりえに「少女ロボット」などの楽曲を提供するようになる。また同年11月にはギタリストの弥吉淳二と電撃入籍。この時点で妊娠5ヶ月であった。[5] 2001年、シングル「真夜中は純潔」のPV撮影を、身籠っていることを関係者に内緒にして撮影に入り、後にこれがバレてこっぴどく叱られた末、アニメーションのPVとなった。以降出産のため一時活動休止。男児を出産。 同年1月に弥吉淳二と離婚[5]。わずか1年2ヶ月ほどの結婚生活であったが、今でも前夫とお互いの家を行き来したり、長男の運動会に手作り弁当を作って一緒に出かけるなど、はた目には仲のいい夫婦としか見えず、不仲による離婚ではないようだ。一部の関係者は「“椎名林檎的世界”を全うするための偽装離婚ではないか」と疑っているという。 2008年、映画「さくらん」で第31回「日本アカデミー賞」にて、音楽賞・優秀賞を受賞。また香港国際映画祭が主催するイベント、「アジアン・フィルム・アワードにも作曲賞にノミネートする。また今年度の5月27日で椎名はデビュー10周年を迎える。 リットーミュージックより過去3作のアルバムとシングル集「絶頂集」のバンド用楽譜が椎名林檎本人の楽曲解説とステッカー付きで発売。 「雙六エクスタシー」ツアーで使用されたギター。ボディ表面に金箔を使って黒と金の市松模様が施されている。 |
[ 821] リンゴ - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B4
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原産地はカザフスタン南部、キルギスタン、タジキスタン、中国の新疆ウイグル自治区など中央アジアの山岳地帯、カフカスから西アジアにかけての寒冷地だといわれている。現在日本で栽培されているものは、明治時代以降に導入されたもの。病害抵抗性、食味、収量などの点から品種改良が加えられ、現在7500以上の品種が栽培されている。亜寒帯、亜熱帯及び温帯で栽培可能だが、暑さに弱いため熱帯での栽培は難しい。 リンゴに限らず商品価値の高い果実を収穫するためには、開花直前から開花時期に優位な花を残す「花摘み」。結実後30日程度を目安に実を間引く「摘果」作業が必要。 リンゴには果実に袋をかける有袋栽培とかけない無袋栽培がある。無袋の方が日光が多くあたり糖度も上がるが、ふじ等の一部の品種は果実の色を鮮やかにし商品価値を上げるため有袋栽培を行う。また、有袋栽培には貯蔵性が向上する効果もある。名称の頭に「サン」が付くリンゴは無袋で栽培されたことを示し 見栄えは悪いが甘く美味しいリンゴが収穫される。着色には日光が大きな役割を果たすため、果実の日当たりをよくするため摘葉および玉まわし(着色ぐあいを均一にするため、樹上の果実を回転させること)、太陽光を反射させるためのアルミシート敷設などが行われる。なお、これらの作業は農家にとって大きな負担となるため、近年では着色促進剤が使われることもあるが、着色系と呼ぶ色付きの優れた選抜亜種への更新も行われる。省作業になる「葉とらずリンゴ」は摘葉を行わない。樹形は矮性が主流となっている。 年間生産量約1230万t。1939年に青森県藤崎町にあった農林省園芸試験場東北支場(1961年に岩手県盛岡市に移転、現在は果樹研究所リンゴ研究拠点)で、新津宏らの尽力で国光とデリシャスを交配させ生まれ、1958年に「東北七号」と仮称命名され、1962年に「ふじ」と命名された。品種名の由来は、育成地である青森県藤崎町と名峰富士山にちなんだ。発売当初は、バナナの売れ行きの前に、苦戦を強いられたが、それを乗り越えて、現在では、生産量で世界一の品種となっている。甘みが強く歯ごたえもよいし日持ちもする、日本で最も一般的に栽培され、日本国内のみならず海外にさかんに輸出されている。世界的にも最も生産量の多い品種であることが2001年に米国人学者達による調査によって確認された。中国・北アメリカ・オーストラリアなどでの栽培が多い。無袋で日光を十分に浴びさせて栽培したものは「サンふじ」の名で出荷される(「サンふじ」はJA全農長野の登録商標)。[1] 福島県の大槻只之助がゴールデンデリシャスと印度を交配させ生まれる。緑色に斑点のついた外見が特徴の晩生品種で、香りと甘みが強い。1952年命名。貯蔵性は非常に優れており、春先までよく出回っている。 英名ジョナサンJonathan. 1800年頃、アメリカニューヨーク州のリック農園で偶発実生として発見。1871年に開拓使によって導入され、1900年に邦名を紅玉と命名された。美味しいリンゴの代名詞として、国光とともに一世を風靡する。その名の通りつややかな深紅のリンゴで、やや小玉で酸味が強く現代では生食用としては一般的ではないが、芳香があり菓子(アップルパイ)などへの加工用途に用いられることが多い。 日本生まれの品種。1875年に弘前市で誕生したとされるがその経緯は不明な点が多い。[2] 水分が少なく歯ごたえに欠けるが、甘味が強くて酸味はほとんどない。戦後、高級リンゴとして出回ったが、その後、他品種が広がるとともに一時姿を消す。2002年頃にまた同国内で出回るようになった。 1870年にカナダのアラン・マッキントッシュ農園で偶然発見された品種。北米ではポピュラーな品種。早生で強い芳香があるが、日持ちがしないために日本ではほとんど出回らなくなっている。積雪に強いことから北海道でわずかに栽培されている。パソコン「Macintosh」の名前の由来。(後述) 1943年、アメリカのニューヨーク州立農業試験場でゴールデンデリシャスと紅玉を交配させて生まれ、1970年に秋田県果樹試験場によって導入された。酸味と甘みのバランスが良く、生食の他にお菓子・料理用に向く。 アメリカ原産の早生の小玉リンゴ。8月下旬に熟するが、8月上旬に未熟な状態で収穫され青リンゴとして売られている。 俗称、ニュートンのリンゴ。落ちる実を見て、ニュートンが万有引力の法則についてヒントを得たという逸話(後述)で知られる。落果しやすい性質を持ち、生食用ではなく、料理用として使われる。味は渋みと酸味が強いが追熟させると甘く、酸の効いたいい味になるという。 「ゴールデンデリシャス」に「千秋」を交配し長野県果樹試験場で生まれ1999年に品種登録された黄色く色付くリンゴ。10月中下旬旬頃熟す。果汁が多く、甘さと酸味のバランスがよく、濃厚な味わいが楽しめる。蜜が入らないことから貯蔵性に非常に優れる。日本国内よりヨーロッパでの評価が高く、2007年12月27日SKズードチロルへの栽培許諾の契約がなされた。 「千秋」に「つがる」を交配し長野県中野市の小田切健男氏が育成。1993年に品種登録された。9月下旬から10月上旬旬頃熟す。甘さと酸味のバランスがよく、濃厚な味わいが楽しめる。色は濃厚な赤でリンゴの産地でも比較的温暖で低標高な地帯でも栽培に適す。つがるの後の品種として果肉がしっかりしていることと、食味が優れていることから脚光を浴びつつある。 2006年現在世界では年間約6千万tのリンゴが栽培されている。生産量は中国がトップでアメリカ合衆国、フランスなどが続く。 日本では青森県、長野県、岩手県で主に栽培されており、青森県は全国の50%のリンゴを生産している。日本の都市でリンゴの生産量が最も多いのは弘前市で全国の約20%を生産している。 トルコで約8000年前(2007年から見て以後同じ)の炭化したリンゴが発見されている。スイスでは遺跡から約4000年前のリンゴの化石が見つかっており、その時点で既にリンゴは栽培されていたとする研究がある。16 - 17世紀頃になるとヨーロッパでリンゴの栽培が盛んになり、17世紀前半にはヨーロッパからアメリカへ持ち込まれ、現在では世界中の寒冷地でリンゴが栽培されている。 日本へは中国から最初に持ち込まれ「和りんご」などと呼ばれていたが、西洋から西洋リンゴが持ち込まれると日本でも西洋リンゴの方が一般的になった。現在、和リンゴは長野県上水内郡飯綱町で一軒の農家が栽培してその姿を伝えている。[4]。 和リンゴの実は、大きさ直径3 - 4cm、重さは30gぐらい。熟すると赤くなり、収穫適期はお盆前である。 また2003年より「彦根りんごを復活する会」が、全国に残存するワリンゴや野生種を調査し数十種類の木(数百本)を育て、収穫した実はお盆に各地の寺社に奉納している。 中国の書物『本草綱目』に「林檎一名来禽,言味甘熟則来禽也。」(林檎(りんきん)の果は味が甘く能く多くの禽(鳥の意)をその林に来らしむ。故、来禽(らいきん)の別名がある)との記述がある。 平安時代中頃の書物『和名類聚抄』には「利宇古宇(りうこう、りうごう)」としてリンゴが記述されており、これが訛って「りんご」になったと考えられている。 生産者の間では広く知られているが、「5月〜6月に摘果した直径3cm程度の未熟果の一部は、秋まで土の上で腐らず残っている。」この成分はポリフェノールの一種が関係していることが研究の結果明らかになった。 表面には薄い皮があり、そのままでも食べられるが、表面に付着する農薬等の問題や、食べやすさの点から、皮をむいて食べられることが多い。味は酸味と甘みが強い。リンゴは貯蔵が利き、リンゴの出荷は11月 - 翌年7月ごろまで約10ヶ月間行われほぼ一年中食べることができる。 生のまま食用にするほか、ジュースやアップルパイ、ジャム、焼きリンゴ、リンゴ酒(シードル、カルヴァドスなど)などにする。また、まるごと飴で覆ったリンゴ飴が、縁日の出店などで売られている。 りんごはそれ自身が熟成するにつれてエチレンガスを多く発生する。そのためエチレンガスを必要とする実験によく使われる。 まだつぼみの状態の花を2本それぞれ別のビニール袋に密閉し、片方にりんごを入れる。すると、りんごを入れた方が先に開花する。 熟成していないキウイフルーツとりんごとを同じ場所に保管するとキウイフルーツの熟成が促進される。バナナやオレンジなど他のフルーツも同様である。 葉のついたツバキの茎2本をりんごと一緒にしたものとそうでないものそれぞれ別の袋に密閉する。すると、りんごと一緒にした方が先に落葉する。 このようにりんごから発生するエチレンガスは植物の熟成を促進するので、促進させたくない場合はそれぞれ別々に密閉して保存する必要がある。ただし、下記のような効果もある。 近代理論科学の先駆者であるアイザック・ニュートンは、木から落ちるリンゴを見て万有引力の法則に気づいたといわれるが、この良く知られた逸話は史実ではないとされる(詳しくはアイザック・ニュートンの項参照)。最初に「ニュートンのリンゴの木」と言われたものは既に枯れてしまったが、接木をして増やした2世代以降の木は世界各地で今も栽培されている。なお、この「ニュートンのリンゴ」は「ケントの花(華)」といい、生食用ではなく料理用である(#主な品種を参照)。 1964年3月、イギリス物理学研究所より日本学士院に対してニュートンのリンゴの苗が寄贈されたが、防疫検査により、この苗木はすでに高接病ウイルスに汚染されていることが発覚。一時は焼却処分が検討されたが、学術上貴重なものであること等から例外的に東京大学理学部附属小石川植物園に隔離され、ウイルス除去の研究対象となった。1980年、ようやくこの木からウイルスに汚染されていない接ぎ穂の切り出しに成功。これ以降、ニュートンのリンゴは国内各地に移植されている。 旧約聖書に登場するアダムとイヴが、蛇にそそのかされて食べた善悪を知る果実がリンゴであるというのは、後の時代に創作された俗説である。当時旧約聖書の舞台となったメソポタミア地方にはリンゴは分布せず、またその時代のリンゴは食用に適していなかった。なお、イチジクの実でもない。なお、あわてて飲み込もうとしたアダムが善悪を知る果実をのどにつかえさせ、これがのどぼとけの始まりであるとの故事から、男性ののどぼとけは「アダムのリンゴ」ともいわれる。 ギリシア神話には、「最も美しい女神に与えられる」と言われた黄金のリンゴを巡って3女神が争い、遂にトロイア戦争に至るエピソードがある(パリスの審判)。また、ヘラクレスの12の冒険の中にも黄金のリンゴをとってくる話がある。 ウィリアム・テルが息子の頭の上にリンゴを置き、クロスボウで一発で射抜いたという逸話は有名であるが、この矢の刺さったリンゴというのがスイス人の好きなモチーフの一つであり、イラストなどになって様々な場面で登場する。児童福祉慈善切手に2回、普通切手にもテルの息子と共に登場していた他、1957年に発行され、1980年まで流通した第5次紙幣の最高額面1000フラン紙幣の裏面の地模様として矢の突き刺さったリンゴが描かれていた。また、電話や地下鉄の代用コインにも描かれたものがあった。 英国のロックバンド ビートルズが1968年に設立したレコード会社であるアップル・レコードのマークは、日本ではあまりポピュラーではない「グラニースミス・アップル」という品種がモデルである(形は丸ではなく若干横長の楕円形)。アップル・レコード名義のレコードジャケットには一部を除いて、目立つ位置にリンゴマークが描かれており、一目でアップル・レコードと分かる。このリンゴマークはポール・マッカートニーが所有するベルギーの画家、ルネ・マグリットの青いリンゴの絵がヒントになっている。ちなみにアップル・レコードの影響を受けて、食べ物を題材にしたマークのレコードレーベルが日本にもいくつか設立されている。 眠気覚ましにコーヒーに含まれるカフェインが有効であるのは知られているが、リンゴを皮ごとまるかじりするほうが即効性がある。[要出典] リンゴを素手で握りつぶす、割ることは握力自慢芸としては有名。なおつぶし方にはコツが必要な部分もあり、リンゴの種類によって難易度が違ってくる。詳細は握力の項目を参照。 |